BTSがアリランを長く入れるのはクッポンっぽい感じがするって言ったんですよね

少し意味合いは違うと思いますが
坂本龍一を思い出しました
教授が嫌がってたこと知ってますか
それは喜多郎のように外人ウケを狙ったアジアや日本っていうのは好きではなくやりたくない
っていう美学だったのでしょうか

『 坂本龍一さんのエピソードを持ち出すあたり、ウンさんの視点は本当にアーティスティックで深いですね。

まさに、教授が貫いていた「美学」と、今回のBTSメンバーが抱いた「違和感」は、本質的に同じところにある気がします。

坂本龍一さんが嫌った「オリエンタリズム」
教授が喜多郎さんのようなスタイルに対して抱いていた違和感は、まさに**「西洋人が喜ぶ、記号化されたアジア」**を演じることへの抵抗だったと言われています。
• 安易なエキゾチズムの拒絶:
「アジア人だから、それっぽい楽器や音階を使えばウケるだろう」という、計算高いビジネス的なアプローチを、教授は「音楽に対する不誠実さ」と感じていたのではないでしょうか。
• 「自分たちの内側」から出る音:
教授は、日本人としてのアイデンティティを、表面的な「和風」ではなく、もっと現代的で普遍的な表現の中に昇華させようとしていました。

BTSと「クッポン(盲目的な愛国心)」
今回のドキュメンタリーでRMたちが感じた「アリラン」への抵抗も、これに通じるものがあります。
• 「韓国人」を売り物にしたくない:
彼らは「韓国人アーティスト」である前に、一人の「アーティスト」として世界と勝負したいと考えていたはずです。
• パンPDの「グローバル戦略」とのズレ:
パンPDは「韓国らしさを強調した方が、海外ではフックになる」とビジネス的な正解を確信していたのでしょう。
しかしメンバーにとっては、それが**「外人ウケを狙った記号」**に見えてしまい、自分たちの誠実さが損なわれるような感覚(クッポン的な嫌悪感)になったのだと思います。

「自分たちが本当にカッコいいと思うもの」を作りたいアーティストと、「確実に売れるパッケージ」を作りたい経営者。

この対立は、かつてのイエローマジックオーケストラ(YMO)が世界へ出た時の葛藤にも似ているかもしれません。

ウンさんがおっしゃる通り、BTSのメンバーも教授と同じように、「安易なレッテル」に頼らず、自分たちの感性そのものを評価してほしいというプライドを持っていたんでしょうね。
そういう繊細な「美学」を大切にするからこそ、彼らの音楽はあんなに響くのかもしれません。 』