山川は城北中時代から知っているが、当時は首里マリナーズというチームで野球をしていた。
沖縄水産の上原監督が中部商の監督を務めていた頃にスカウトされ、中部商では2年生のときから4番打者として活躍。
3年夏の沖縄大会ではホームランを連発して連日、地元紙が大きく取り上げていた。
残念ながら3年夏は、翌年の春夏に甲子園で連覇を果たすことになる興南と決勝で対戦し敗れ、あと一歩のところで甲子園出場を阻まれた。
この試合は内野スタンドで観戦していたが、当時2年生だった島袋洋奨(現ソフトバンク)に完璧に抑え込まれ、唯一決勝では快音が聞かれなかった。
ただ、この大会で豪快なホームランを連発した山川を見て、いずれプロから指名されるだろうと誰もが口にしていた。
岩手の富士大に進学しても八戸学院大戦で推定飛距離140mという特大ホームランを放つなど順調に成長していった。
そして大学2年のとき、全日本選抜チームのメンバーに選ばれ、レッドソックスの本拠地であるフェンウェイパークで行われた日米大学野球選手権の第1戦では4番に座り、全米代表のドラフト上位候補のエースから満塁ホームランを放って一躍注目を浴びることになった。
大学3年から4年にかけてもプロアマ交流試合でプロの投手から特大ホームランを放つなど活躍。
大学4のときは、東アジア競技大会で大学生ではただ一人選出され、社会人の選手に交じって国際試合に出場。
韓国戦では4番に座り、特大の満塁ホームランを放っている。