【田淵幸一物語(1)】
「田淵はミスターTではない」と断言した村山監督
http://www.sankei.com/west/news/170104/wst1701040012-n1.html

 快音を発して夜空に舞い上がった打球が大きな放物線を描いて、甲子園球場
の左翼スタンド上段に飛び込んだ。

 軽いスイング、回転だけでピンポン玉のように打球を飛ばす。長い滞空時間。
ポーンとバットを投げる華麗な打撃フォーム。その放物線の美しさにいつしか
人は「ホームランアーチスト」と呼んだ。

 田淵幸一、昭和43年のドラフト会議で法政大学から1位指名で阪神に入団
した身長184センチ、体重80キロのひょろ長の天才打者は、あっという間
に猛虎ファンの心を掴んだ。それまで「11」や「23」を付けていた少年た
ちがみな「22」の背番号に変え、捕手を目指す子供たちも「22」に付け替
えた。

 それから半世紀近く経ったいまでも虎ファンの誰もが彼のことを『ミスター
・タイガース』と呼ぶ。ところが、そんな田淵も長い間、阪神球団やOB会か
らも『ミスターT』とは認められていなかったのである。

 昭和62年、吉田義男に代わって村山実が阪神の監督に就任した。10月1
6日、大阪・梅田の「ホテル阪神」で就任発表を終えた村山監督はホテルの一
室に掛布雅之を呼んでいた。“晴れの日”の演出として掛布に「ミスタータイ
ガース3代目」の就任を命じたのである。

 《初代藤村富美男、2代目田淵幸一、3代目が掛布やな》当然のように我々
トラ番記者たちは3人の顔を思い浮かべた。すると−