まだ1軍で駆け出し2年目くらいから「将来たとえ2000本安打打ても、名球会には入らない」と断言。
三冠王獲り球界を代表する打者になってもその気持ちは変わらなかった。
「2000本打とか200勝とか数字の設定意味がよく分からない。もちろんその数字を素晴らしいが、名球会だけが一流選手ではない」というのが口癖だった。

落合の名球会辞退に眉をひそめたのがヤクルト野村監督。「落合という男は何かにつけ悪い前例を残すな。だれのお陰で、好きな野球がやれて、何億も稼げるんだ。
プロを創始し発展させた諸先輩とファンがあってのものだろう。(名球会は)そんな人たちに恩返しをしようという団体。拒否する理由が分からない」。
落合も将来恩返しを考えていないわけではなかった「球界への恩返しはOB誰でも入会できるOB会を通じそれ一本に絞りたい」という考えを表明。

そんな落合にプロ入りの扉を開いたのは、実は名球会会長の金田。
落合がロッテに入団する前年の78年ロッテを率いていた金田は三宅宅三スカウト部長に「狭い川崎球場に合った選手を取れ。本塁打を打てる選手を探して来い」と要求。
しかし当時不人気のロッテは大物選手に断られ続け思うように選手に接触できなかった

三宅スカウトのメモには落合の名前。「足は遅い、守れない、肩も弱い、闘志が表に出ない」。
プロ入りどころかリストにも上がらないマイナス要素がズラリと並んだが、メモにはこうも記されていた。「右に打つのがうまい。変化球うちは天才的」。

「守備、足、肩には目をつぶってくれますね」と確認し、ドラフ指名に踏み切った。落合が入団した時、監督は山内一弘に代わっていたが、その山内が内角球のさばき方を指導。
天性のセンスに磨きがかかったのは有名な話だ

落合以降、メジャーリーガーのイチロー外野手や野茂英雄投手を含め17人が名球会の入会資格を得た。
しかし、入会を拒否した選手は1人もいない。


さすがアナル