>>116
の続き

さらに、忘れてはいけないのが「侍ジャパンの頭脳」と称された、元ヤクルト・志田宗大スコアラーの存在だ。
現役時代の志田氏は青木の台頭とともにポジションを失い、主に控え選手として過ごしていた。
けれども、10年シーズンを最後に引退すると、ヤクルトのスコアラ一としてチームを支え続けた。
その彼が侍ジャパンに欠かせない「司令塔」の一翼を担ったのだ。
相手投手が替わるたびに、筒香嘉智や中田翔が志田スコアラ一の下に行き、指示を仰いでいる光景は今大会中、誰もが目にしたことだろう。
しかし、今大会における「ヤクルトの香り」は侍ジャパン以外にも、随所にプンプンとかぐわしい芳香を漂わせていた。
その筆頭がオランダ代表・バレンティンだ。
日頃、神宮球場ではめったに見せないひたむきなプレースタイルは新鮮だった。
恐ろしいほどの集中力を発揮して鬼気迫る姿でバッターボックスに立つ姿。少しのスキも逃すまいと全力疾走でグラウンドを駆けめぐる姿。
国の威信をかけてチームプレ一に徹し、喜怒哀楽すべての感情を爆発させる姿。
7試合に出場し、4本塁打12打点。文句のない活躍だった。
そして、そのオランダ代表を率いていたのがミューレン監督だった。
NPB初のオランダ出身選手として94年にロッテに入団した彼は、翌95年にヤクルトに移籍。
当時、ロッテの同僚だった「メル・ホールの執拗なイジメによる移籍」というウワサだったが、ヤクルトにとってはこれが幸いした。
三振は多かったけれど、95年日本一の立役者の一人であることは間違いない。ありがとうメル・ホール!
ヤクルト時代に野村監督の下でID野球を学び、それがミューレンの現在に生かされているのだろう。
大会期間中、別件取材で野村克也氏にインタビュ一した際に、「野村野球が今でも世界に広がっているのが嬉しい」と話していた。