>>435
辻本って選手が居てな・・・世代的には一応ハンカチ世代

wiki「辻本賢人」より

2004年8月にカリフォルニア州のマタデーハイスクールで日本の義務教育に当たる9年生課程修了。
同年秋のドラフトで、阪神タイガースに8巡目で指名され入団。
15歳での指名はドラフト史上最年少だった。

2005年はウエスタン・リーグで5試合に登板したが、2006年は身体作りなどの基礎固めに専念させる首脳陣の意向で実戦登板の機会はなかった。

同学年の選手が高卒でプロ入りした2007年は二軍で9試合に登板し、防御率3.24を記録。

2008年は二軍で11試合に登板して防御率3.65. 同年オフに保留選手名簿から外れて育成選手契約となった。

2009年はキャンプ前に第5腰椎を疲労骨折したこともあって二軍でも登板機会がなく、10月1日に球団から戦力外通告を受け、10月30日自由契約公示された。
合同トライアウトではスカウト陣から「球が遅すぎる」「フォームがバラバラ」など厳しい指摘を受けた。

2010年2月、藪恵壹の勧めにより藪とともにアメリカに渡ってアリゾナでトレーニングを積み、投球フォームの見直しを行った。
4月、独立リーグ・ゴールデンベースボールリーグのトライアウトに参加し、阪神時代を超える最速146km/hを記録。
同リーグのマウイ・イカイカからドラフト1位指名を受け入団した[6]。
同年のシーズンでは、腕の位置をサイドスロー気味に下げたフォームに変えたことで、球速が94mph(約151km/h)までアップし、主に中継ぎ投手としてプレーした。
シーズン後半では、勝ち試合で起用されるようになった。
成績は32試合に登板し、3勝2敗2セーブ、防御率2.88。

2011年1月、フロリダでタンパベイ・レイズのトライアウトに参加し、3者連続三振を奪う投球を見せた。
レイズは不合格になったが、レイズのスカウトで元日本ハムのロブ・デューシーに「俺が絶対にどこかに入れてやる」と言われた。
2月7日、ニューヨーク・メッツからマイナー契約のオファーがあったと報道され、3月3日にメッツとマイナー契約を結んだ。
メッツマイナー時代に右肘を故障して手術を受けた。

2013年5月、ニューヨーク・メッツを解雇された。

2016年現在は帰国し、翻訳家となっている。