清原和博 打撃スタイルの下地を作った上級生対策の右打ち
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通算13ホーマーという、甲子園史上最強打者が生まれたのだ。
「一番ええヤツ」が集まるPL学園高で、しかも1年生から四番を打つようになるきっかけは5月、
興南高との練習試合だ。

上級生が仲田幸司(元阪神ほか)をまるで打てない中、二塁打を放ったのだ。
PL学園高はもともと、少数精鋭主義。だから1年生でも、認められれば10本程度はフリー打撃で打てる。

だが当時は、厳格な上下関係が存在した。練習からあまりに目立てば、ただでさえ厳しい寮生活がさらにつらくなる。
「打撃練習で普通に打ったら、飛ばない竹バットでも7、8割はフェンスを越えます。
でも、それだと目をつけられる。じゃあ、一番ホームランになりにくいのはどこか。
それはライトだな、と考えて、センターから右方向に打つようになった」というのは、
のちの本人の述懐だ。

なるほど、清原といえばプロ入り後も、逆方向へのアーチが印象的だが、
その基礎工事は「先輩に目をつけられないため」に行われていたわけだ。  

もっとも中村順司監督(当時、現名商大監督)は、「右打者は、センターから右への打球が一番飛ぶ」
というのが持論で、清原の打球がそのお眼鏡にかなったのかもしれない。