幻の最強打線はペタ、カブ、ラミ!?プロ野球伝説の国際スカウトの秘話。posted2017/10/23 11:00
http://number.bunshun.jp/articles/-/829130

 '90年代前半まで、アメリカの選手たちからしたらNPBは未知の世界だった。

 野茂英雄のトルネード革命前夜、もちろんイチローや松井も渡米前の話である。

 日本の野球ファンにとっても、大リーグは海の向こうの別世界の出来事。人気ゲーム
『ファミスタ』の反則的に強い“メジャーリーガーズ”が唯一の接点。そんな時代に、ひ
とりの超大物助っ人が日本球界へとやってくる。

 1987年のボブ・ホーナー旋風である。

 「まさか、日本に来てくれるはずがない」と半信半疑で交渉の席に向かう編成部渉外
担当兼通訳の中島氏。

 当時、FAによる契約のもつれから、プレーする場所を失っていたホーナーは「とに
かく野球がやりたい。このままどこの大リーグ球団とも契約ができないという最悪の事
態になった場合、1年間まったく野球ができない。大きなブランクがあく。そうなると
翌年カムバックできるだろうか」と不安を抱えていた。

 だったら、どこの国でプレーしても同じじゃないかと来日を決意。交渉時に中島氏が
背広にネクタイで、きちんとしたビジネスマンの服装をしていたことも好印象に繋がっ
たという。

 日本デビュー戦は'87年5月5日の阪神戦、第3打席で見事来日初ホームランをかっ飛
ばしたホーナーの姿に、神宮球場で見守る中島氏は涙を流す。

 ファンの期待、ヤクルト・グループの期待、チームの期待、そのすべてがスカウトの
肩にのしかかっていた。なにせ年俸は当時としては破格の推定3億円(日本人トップが
中日・落合博満の1億3000万円)。これで失敗したら何を言われるか……。そんな不安
を吹き飛ばすかのように、ホーナーは2戦目には(一度の四球を挟む)3打席連続アー
チで日本国民の度肝を抜く。

 マスコミも“黒船襲来”と騒ぎ、赤鬼ホーナー旋風が始まるわけだ。