>>382

プロ入り前
4歳の時、読売ジャイアンツ(巨人)の王貞治が引退試合で挨拶しているビデオを見てプロ野球選手に憧れるようになり、小学4年の時に少年野球チームに入って捕手を務めた。
中学3年の時にプロOBによる野球教室で王に褒められ、また冗談半分ながら巨人入りを勧められたことで、巨人へ入団したい気持ちが高まった。
別府大学付属高等学校に進んだ当初は隠していたが、強肩を見込まれここでも捕手に指名された。
この時から「自分は捕手をやるために生まれた。それが宿命」と考えるようになり「これまでにない、
打って守って走れる捕手」を目指す決意を固めた。
高校では1年の時から4番を打ち、高校通算70本塁打を記録した[1]が、甲子園への出場はならなかった。

城島は巨人入りを見据えて東都大学リーグで力をつけることに決め、いち早く獲得に動いた駒澤大学への推薦入学を取りつけた。
さらにプロ入り拒否を表明したため、スカウト陣が二度目に訪問したときにはもう会えなくなっていた。
しかしそれ以前にはプロ入りを希望していたことや、巨人・西武ライオンズ・福岡ダイエーホークスの3球団を志望しているものの逆指名できない高校生であることから、
本心は進学ではなくプロ入りだと読んだダイエーの根本陸夫らは1994年のドラフト会議の前日、1位での強行指名を宣言。
アマ球界との摩擦を恐れたコミッショナー事務局が警告したものの、ダイエーは宣言通り1位指名した。
城島本人も憧れの人物である王がダイエーの次期監督に内定していることを知り、
その後監督に就任した王から要請されたことでダイエー入りを決めた。

この件をきっかけに、プロ入り拒否の選手はドラフト会議で指名できないというルールが定められた[2]。


お前、馬鹿だろ