“甲斐キャノン”誕生秘話 「野球を続けるか、続けないか」から“奇跡”のプロ入り
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高校通算40本塁打を放ったが、2年夏の大分県大会は準々決勝で1歳年上の今宮健太擁する明豊高に敗戦。
3年夏はまさかの初戦敗退。甲子園に縁はなく、プロのスカウトの目に触れる機会もほぼなかった。
ノーマークだったのは、のちに育成選手として指名するソフトバンクも同様だった。
「進路にプロという選択肢なんてあるわけがなかった。それよりも、野球を続けるか、続けないかの選択でした」。予想以上に早い7月下旬で高校野球を引退。
周りが1人、また1人と進路を決める中で、甲斐自身は大学進学か、それとも就職か、と決断を下せないままでいた。そんな甲斐に“奇跡”が起きる。
野球部監督の宮地弘明氏は、進路を決めかねている甲斐の姿を見て、九州を本拠地とするソフトバンクの九州担当・福山龍太郎スカウトに連絡を入れた。
甲斐のプレーを一度見てやってくれないか、と願ったのだった。
福山スカウトは宮地監督の願いを聞き入れた。「宮地監督から電話があって『見てもらえることになったから、体動かしとけよ』と」。奇跡的に実現した“テスト”。
その8年後に日本中を驚愕させるスローイング面などを評価され、ようやくソフトバンクの獲得候補リストに「甲斐拓也」の名前が入った。
その後、編成担当者などのチェックも受け、育成ドラフト6位での指名に滑り込んだ。
甲斐にとって幸運だったのは、2011年からホークスが本格的に「3軍制」を稼働させる予定だったこと。
一芸に秀でた選手を中心に相当数の育成選手を獲得する計画があった。数々の巡り合わせがあって、甲斐拓也はプロの世界に導かれた。
「僕なんて絶対にノーマークのノーマークでしたよ。宮地先生の力があったから今の僕がいる。宮地先生がいなかったら、絶対に今の僕はいません」と振り返る甲斐。
同期の千賀が、地元のスポーツ用品店店主の推薦でソフトバンクから育成4位で指名されたのは有名な話だが、
甲斐もまたノーマークのところから、不思議な運命によってプロの世界へ道が拓けたのだった。