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「悲劇の剛腕」智弁和歌山・高塚信幸 センバツで712球投球→アジア選手権出場で壊れるも…野球人生に悔いなし 甲子園剛球列伝

甲子園68勝を挙げ昨夏限りで勇退した智弁和歌山の前監督、高嶋仁には「悔やんでも悔やみ切れない」出来事がある。

 1996年(平成8年)の春。新3年生投手が不調だったため、センバツで投げるのは新2年生右腕の高塚信幸だけという状況に陥った。

 この時点で高塚はストレートを高めに投げると簡単に空振りが取れたが、高校に入ってまだ1年もたっておらず、体はできていない。

 初戦は2安打完封。2回戦から決勝までの4試合は4日連続という強行日程を全て完投した。国士舘との準々決勝は延長13回完封。鹿児島実との決勝は4連投の疲れで6失点し敗れた。この大会の投球数は712球。センバツで700球を超えた投手は5人だけだ。

 高塚の肩の状態は危険ゾーンに入っていた。高嶋はセンバツ後「1カ月はノースローで休養させる」と決めた。
ところが、高塚は4月のアジア選手権の代表に選出。高嶋も高野連の決定にあらがうことができず承諾した。この大会の中国戦で投げた高塚の右肩はついにパンク。事実上、投手としての能力を失った。

 その夏の甲子園では登板なし。チームメートが「もう一度、高塚を甲子園で投げさせよう」と誓った翌年の夏は初の全国制覇を果たしたが、高塚の球威は戻らず、初戦だけ登板して2回途中5失点でKОされた。

 故障が完治していないことを知りながら、それでもプロ側は潜在能力を高く評価。社会人入りが内定していた高塚を近鉄は強引にドラフト7位指名した。揚げ句、1軍公式戦登板なしで引退…。

 高塚はいま、夫人の故郷である兵庫県の淡路島で、義父が営むすし店「金鮓(きんずし)」の職人として働く。引退後すぐに修行に入り、もう15年だ。

 高校野球はタイブレーク制となり、球数制限も議論される時代。登板過多で投手生命を失った一人として、取材を受けることが多い高塚は「やるだけやったから、壊れても納得している」と笑顔で答える。
恩師・高嶋の思いとは逆に、「悲劇の剛腕」で終わった野球人生を悔やんではいない。