本国の政治委員会に不信の念を表明し、今後はナポレオンによって退位させられた王が、
退位前に任命したアウディエンシアが最高の権威をもって統治する旨の宣言を行った。

ところがこれは上ペルーのクリオーヨたちの反発を買い、1809年10月、ラパス市において、
一群のクリオーヨたちが本国生まれスペイン人の総督と司教を逮捕して政治委員会をつくり、
その議長にメスティソ(白人とインディオとの混血)のペドロ・ドミンゴ・ムリリョが就任した。


(注)アウディエンシアは植民地時代、スペイン領アメリカの主な都市に置かれた統治機関。
副王を頂点とする植民地統治機構の中で、主要都市に置かれたアウディエンシアは、
国王から任命された数名のオイドールと呼ばれる議員によって構成され、首都では、副王がその議長になった。
行政だけでなく司法機能もそなえ、一定範囲の立法権ももっていた。


そこでクリオーヨたちが発表した独立宣言案には、もはや本国でナポレオンに退位させられたフェルナンド7世への忠誠を誓うことなど問題外とし、
今こそスペインの軛から脱して独立することを唱え、また民衆の代表者による議会をつくり、
その中には「インディオたちにも議席を与えてその権利を保障すべきである」という、当時としては極めて革命的な内容を盛り込んで宣言案であった。

一般のクリオーヨの目から見れば、たいへん危険な思想を孕んだこの革命運動は疑いの目で見られたので、その支持を得ることができず、
結局はペルーのリマから送られてきた軍隊によって粉砕されてしまったのである。
この例に見られるように、独立に向けた運動に携わったのは常にクリオーヨたちであった。

従って独立達成後、政治の表舞台に立ったのはクリオーヨの大土地所有者や大商人たちであり、
追い出された本国生まれのスペイン人に代わって、彼らが政治の舵取りを握った。
ところがそこではメスティソや原住民はすっかり置き去りにされてしまう形となり、あくまで白人主導で事が進められた。

つまり常に白人優越意識が強く働く結末になっていたのである。