大和

 12年間成長させてくれた阪神、大声援を送り続けてくれた虎党への感謝の気持ちは尽きない。左肩亜脱臼で長期離脱した11年に贈られたファンからの寄せ書き色紙、約2000羽の折り鶴で「大和」の2文字を作ってもらった作品は今も宝物にしている。

 「阪神ではめちゃくちゃいい思いをさせてもらったので。2軍で全然試合に出ていない選手でも熱心に応援してもらえるし、環境も何一つ不便はない。すごく特別な球団だと思う。阪神だから自分もここまで来られた。お世話になった監督、コーチ、先輩、後輩、ファンの皆さんには感謝しています。入った時は高卒ドラフトの4番目。一番下のスタートから、ここまでやらせてもらえたわけですから。入団時はFAの権利を取れるなんて夢にも思っていなかった。現役で10年できるとも思っていなかった。まずは3年、次は5年、ようやく10年、それで今。ずっとFA選手なんて雲の上の存在だと思っていたのに…。ここまで育ててもらって、本当に感謝しかありません」

 今、阪神時代でもっとも記憶に残っているシーンはサヨナラ安打でもなく、華麗な守備を披露した時でもなく、不思議と2軍時代に叱られた1日だという。

 「一番の思い出は…なぜか鳴尾浜の時になりますね。2年目の夏、自分のエラーで試合に負けたことがあって。その時、内野守備走塁コーチだった山脇さんに怒られてヘコんだ後、土砂降りのグラウンドで2人だけで1時間30分ノックを受け続けたことですね。『守備で入ってきた人間が、そういうミスしたらダメだ』と怒られて。それでノックが終わった後、『今の時代、守備だけでも1億円もらえる時代になってきているんだから頑張れ』って。あの日がなかったら今の僕はなかったと思います」

 思い出は尽きない。だから阪神戦に一抹の不安もあると苦笑いする。「急に敵と言われてもね…。情が出ないようにしないといけませんね」。たとえ虎党から強烈なヤジを浴びたとしても「それは仕方がない。自分は出て行った人間だから。それは覚悟の上です」。18年はDeNAの一員として、がむしゃらに居場所を奪いにかかる。