1988年、優勝の望みが薄くなった8月25日、ナゴヤ球場での中日戦前に
フロントの戸田久雄編成本部長、岩本堯一軍担当が、広岡達朗に接触を試みた。
すると、その日のうちに情報が漏れ、新聞記者に知れ渡った。
若林敏夫広報室長は、著書にこう書いている。

〈顔見知りの親しい担当記者に、「なぜ、広岡氏に監督要請したことが
広まったんだ」と聞いた。広報が記者に球団の機密事項を教えてもらうなど、
大変にみっともないことだが、事実を知りたかった。

「広岡さんが自分で喋ったんですよ。王監督にも電話を入れたようですし、
二、三の関係者に連絡したようです。それが広まったんです」〉
(1992年2月発行『巨人軍の最高機密[第�T部]』リム出版)

フロントの2人は「もし王監督が辞める場合、監督を引き受ける気は
あるのか」という確認をしただけで、正式な要請だったわけではない。
https://number.bunshun.jp/articles/-/870604?page=3