>>11
言葉の意味を、大勢でできるだけ同じに約束していないと意味を伝えたり考えを同じにしにくくなると思うので、辞書的・慣習的というのは守らないとだめだと思う。
ぎりぎり個人の主観の手前までは客観的な観察やデータだけで考えるようにしないと

科学や技術にできない。
できないので>>11
言葉の意味を大勢できるだけ同じに約束していないと意味を伝えたり考えを同じにしにくくなると思うので、辞書的・慣習的というのは守らないとだめだと思う。
それから、ぎりぎり個人の主観の手前までは客観的な観察やデータだけで考えられるようにすれば
同じ事について大勢で同じ理解の仕方で考える事ができると思う。
だから科学や技術はできるだけ客観で考えたり理解することになっているはず。

「生体反応。呼びかけても反応がないとか、脳波が出ていないという生理的な状態」
と言うのは客観的に考えるのを守っているし、意識の辞書の定義の範囲で考えていると思う。
一人一人の自分の意識は主観だけれど、自分の意識だったら誰でも客観に近く観察できる。