最近科学寄りの話が多くなっているけど(まあブレークスルーがないと駄目だから結局科学なんだという
話は哲学板時代から言っているのだが)、トランスヒューマニズムってのは哲学的に言ったら
人間的身体や精神の操作や拡張を指すわけでしょう

この意味で、倫理というのは実はヒューマニズムではなくてトランスヒューマニズムとか非人間主義的な
レベルの情報的な対象なんだというのが不幸削減主義の立場になる
地上における倫理の実現を志向するなら通常の常識を超える必要がある。既成の社会の倫理の密度は「薄い」
しかし、デリダの問題からもわかるように、倫理は同時に理念的かつ「時間的」な要請でもある
つまり包摂性とか問題解決の「操作」には恐らく終わりがない。その意味でも非常に情報的である
そして「高いレベルで作用」するには改めて言えばトランスヒューマニズムにも突入しなければならなくなる

それは言い換えれば、倫理的な思想というのは未だに到底実現から程遠いプログラムでしかないことを意味する
法律を破らないのは単なる道徳に過ぎない。倫理は基本的には個々の人間には重すぎる命題である
だから思想でなければならないし、個別の慈善事業とかの話では全くない