もちろん、国家や政府がむやみに動くことはない。
米国によるイラン攻撃のように、極めて急ごしらえで慌ただしい事態であっても、何らかの計画は確かに立てられていたはずだ。
実際、有能な政府は常に「緊急時対応計画」と呼ばれるものを作成しており、ある時点で米政府がイランとの戦争に向けた
緊急時対応計画の策定を指示した可能性は極めて高い。(もちろん、緊急時対応計画の存在自体もアポフェニアを誘発する要因の一つだ。)
しかし、少なくとも米国の作戦には、即興的で場当たり的な性質が見られ、政治的文脈を欠いた、
単なる軍事的な技術的計画以上のものが欠如していることが示唆されている。
一方、数十年にわたり安定したイデオロギーに基づく政治体制を維持してきたイランは、首尾一貫した長期的な政治・軍事計画を有し、
それを実行に移しているように見える。それゆえイランは主導権を握っており、今後もそれを維持し続けるだろう。
さらに、いかなる戦略にも最終目標(業界用語でいう「エンドステート」)が必要であるにもかかわらず、米国にはそれが存在しないか、
あるいは言い換えれば、互いに矛盾し、曖昧な目標がいくつも存在しているだけだ。
したがって、定義上、米国が偶然を除いて成功することは不可能だ。「イランを破壊する」ことはend-stateではない。)
おそらくさらに重要なのは、ワシントンで合意された最終目標が存在しないということは、成功や失敗を判断する基準となる共通の
目標がないため、そうした判断自体が無意味であることを意味する。
ひいては、これがやがて完全な不確実性をもたらし、戦争を「終結」させる方法について激しい対立を招くことになる。
なぜなら、それぞれのロビー団体が異なる終結像を念頭に置いているため、自らの基準が満たされているか、
あるいは逆に今や決して満たされ得ないとして、戦争を継続すべきか、一時停止すべきか、あるいはむしろ停止すべきかについて、
互いに主張し合うことになるからだ。