探検


野々村元県議の今後を考える11

1名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2025/07/28(月) 16:27:29.78ID:RioVyMEA0
野々村元県議の今後を考える10
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/mayor/1729133942/
野々村元県議の今後を考える9
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/mayor/1726243341/
野々村元県議の今後を考える8
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/mayor/1716701802/
野々村元県議の今後を考える7
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/mayor/1708157139/
兵庫県議 野々村 政務費不正で泣き乱 野々村元県議の今後を考える6
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/mayor/1693847868/
野々村元県議の今後を考える5
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/mayor/1687745900/
野々村元県議の今後を考える4
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/mayor/1677142094/l50
野々村元県議の今後を考える3
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/mayor/1663226803/
野々村元県議の今後を考える2
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/mayor/1654957215/
野々村元県議の今後を考える
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/mayor/1405666187/l50
2025/10/05(日) 17:12:09.88ID:Vy+WVrjQ0
旅行シリーズを最近初めて観たんだけど、列車シリーズとは全然タイプが違うね。
主演役者の個性の差もさることながら、演出法が同じ監督とは思えん
渥美さんの方がコテコテの人情喜劇なら、フランキーの方は、
ウディ・アレン作品や、M★A★S★Hのような、独特のテンポの、
ちょっとドライなムードのある、日常の生活をスケッチ風に繋いだ感じの喜劇だったんでちょっと驚いた
(上に挙げた洋画ほどは、徹底して乾いたり尖がったりはしてないけど)
だから瀬川昌治ってシネフィル受けするんでしょ? 
列車シリーズは、渥美清の個性に合わせたせいか、わりとスタンダートな演出だもんな
同じ監督とは思えない

幕末太陽傳はじめて見て、フランキーすげえって思った。この作品は傑作だね。
火事と喧嘩は江戸の花といわれたあの時代の人々の粋さやたくましさが
実感できたような気がした。あのしゃべり、羽織の着方や、軽妙な動き。
フランキー堺ってすごい役者だったんですね
2025/10/05(日) 17:39:47.59ID:Vy+WVrjQ0
東映の渥美清「列車」シリーズと松竹のフランキー堺「旅行」シリーズってどういう関係なの?
監督と脚本家が同じだから実質的に同じネタだよね。
どうして会社が変わっちゃったんだろ?

初詣列車で、当局の協力を得られなくなり、
映画会社を替えて再出発を図ったとどこかで聞いた覚えがある。

80年ごろはこの時期になると
連日深夜に「列車」「旅行」シリーズをやってて、ああまた正月が来たなと思ったもんだ。
2025/10/05(日) 19:47:04.65ID:Vy+WVrjQ0
昔鹿児島本線沿線に住んでて、次々と(だった、当時は)通る『東京』行き
の長い長いブルートレインにはるかな東京への憧れを持ったときの気持ちがいまだに忘れられない

ドイツのCNLのような目玉夜行が東海道に1本くらいは
あってもいいのでは? 東京ー博多なんか。
あれは別会社の運営でハイレベルなサービスを提供している。

1日1回だけしか使えない車両を、積極的に整備するとは思いにくい。
寝台特急なんて、1編成20億円かけても、1日の売上が、多く見積もっても200万円前後だぞ。
しかもそれだけの客が乗るとは限らないし。
新幹線だったら、東京〜大阪間2往復できる。しかも定員が多いから、生産性は全然違うよな。

飛行機がこれだけ安くなってしまったら、夜行需要が減ってもしょうがないな。
夜行需要って、結局経済上飛行機で行けない人が、やむを得ず効率よく移動する手段だったわけでしょう。

一般人にとっては、列車に乗ってる時間は苦痛の時間。
できるだけ早く降りたいものだよ

豪華客船かぁ、あれはすごいよね。でもなー、鉄道では負けそうだよね。
どうしても、横幅に制限あるからさ。

サンライズはご存じの通り、直流特急なので交流区間である九州内は走れません。
そんなの交直流に改造すればいいじゃんとおもうでしょうが、それをやると1両あたりの定員が1/4減ってしまいます。
ご存じの通りサンライズは他の寝台と比べて定員が少ないので
満席でもなかなか元を取れない列車なので、これ以上の定員削減をしてしまうと赤字列車になってしまいますね。
2025/10/05(日) 21:54:26.87ID:Vy+WVrjQ0
東宝は製作部門閉鎖して
日活もにっかつロマンポルノへ路線変更し
大作路線をやめて性典シリーズで日銭稼いでた大映は倒産し
松竹は寅さんだのみ
東映の絢爛豪華な時代劇は黒澤のリアリズムにとどめ刺されて
任侠路線も実録ヤクザ映画路線も飽きられ
三船プロも勝プロも石原プロも内情は火の車
映画現場の職人が武士は食わねど高楊枝とやせ我慢してたところへ
ビジネスを持ち込んで興行と宣伝とグッズ(原作小説・文庫)販売で利益を出すことの大事さを証明したことだよ
小説は文学芸術気取って作家一人が貧乏してれば話はすむけど
映画は多くの人が携わる産業(制作だけだなく劇場への配給となにより興行)だから
制作現場で芸術気取って売れない映画作ったってしょうがない
「良い映画」づくりを目指すのであれば売れたうえで尚且つ見た人たちを感心させるような作品を作らなくちゃいけない
わかる奴だけわかるっていうのはやっぱり制作側のマスターベーションだし
興行成績がいいだけでは必ずしも「良い映画」という訳ではない
角川春樹が音頭とってた所謂角川映画に「良い映画」は少ない

大宣伝の投入で本雑誌売るための映画じゃんってのも、収支の面ではしゃーない。
制作に要する資金は角川書店・角川春樹事務所の負担(自己資金やスポンサー探し)、
配給権は傘下に劇場を持つ映画会社のものだから、興行で得られる売上の大半は東宝や松竹東映に吸い取られる。
角川は原作本や特集雑誌の売上で映画制作費を補填してトータルでトントンを目指すって感じだったし。
映像パッケージソフトで回収出来る時代だったなら、また少し違った形になっていたかもしれないが。
2025/10/06(月) 18:01:24.99ID:qcehOW+m0
たまに古臭い昭和風味を味わいたい時なんかに、この人の単発物をよく手にしたりする
ベタな設定・描写と、旅情とがあいまって、無性にノスタルジックな気分になる
仮想旅行しているような気分になれる。旅情ものを書く作家の中では、一番読みやすくて自分好み。

この人の書く女性キャラは結婚や男にしがみつきすぎ。

主人公の女2人と男2人が旅先で知り合って組になるという
お決まりの流れなのだけれど、物語の進行に伴っていつの間にか組み合わせが逆にw
山村作品には、この型が多すぎる

売れてる時はそんなに表では批判されないもんだよ(^^)
あの中島河太郎が相当甘甘なこと書いてたはず。

80年代はまだ原作にわりと忠実に作られてたらしいね。
山村美紗が存命の頃は厳しくチェック入ったらしいからね。
出演者も結構頑張って京都弁使ってたし。今やほとんど標準語だけどw
山村美紗サスペンスは設定だけを原作から借りてきて、脚本で改変しまくって原形を全く留めない
完全なオリジナルストーリーになってるケースが多い
これで『山村美紗サスペンス』とは嘆かわしい.原案と表記すべきだと思う
“山村美紗サスペンス風”か、“山村紅葉サスペンス”にすればよいのでは?
2時間サスペンスで、「西村京太郎」と「山村美紗」は強力なブランドなんだろうな…。
西村京太郎の十津川警部ものでも、三橋達也が十津川警部をやっていた頃は
かなり原作に忠実だったと思うけど、最近はそうでもない。渡瀬恒彦のははなから違ってた。
2025/10/06(月) 18:21:17.80ID:qcehOW+m0
新保博久
〔いまミステリー界で、新刊を出せば必ず売り上げ上位にランクされる御三家として、赤川次郎、西村京太郎と並ぶ内田康夫の新作だから、当然のようにこの本も好調なだけだ〕
〔浅見も推理らしきことはするが、大半は直感とまぐれで正解に達する〕
〔気の短い推理小説ファンなら、本をたたきつけかねない〕
〔内田氏が、本書でとくに手を抜いたわけでもなさそうである〕
〔要するに(内田)氏の読者は別に推理の妙味を期待しているのではない〕

森村誠一いわく
「分檀のしがらみにしばられず読者の側にだけ向いて自由に小説がかける、それが内田の長所」
2025/10/06(月) 20:52:00.30ID:qcehOW+m0
「根強いファンは多いのですが、多くのロケが必要で制作期間が長く、ギャラも高い2時間ドラマはコスパが悪い。
まさに土ワイもその通りで、最近の視聴率は10%を超えるのがやっと。
映画会社など制作会社も大きくかんでいるので、どんなに制作費を抑えても3000万〜4000万円と高い。
代替えとして始まるニュース番組は制作費を1000万円ほどに抑えられますし、“それなり”に視聴率もとれるという経営陣の判断なのでしょう。

片平は1990年代後半、多い時に週に3本の2時間ドラマに出演。しかも、どれも視聴率は20%前後と、時代を象徴してきた。

彼女たち主役級の2時間ドラマのギャラは1本500万円ほど。

“事件+温泉+おっぱい”の“『土ワイ』フォーマット”は後年、『特命係長 只野仁』(テレ朝系)などでもパロディ化され、“テレ朝らしさ”としても定着していった。

刑事ドラマってどうしても車両協力が要るから、スポンサーに車会社がつく関係で、轢き逃げとか事故死はほとんど扱われないな。

西部警察は、広告代理店を介さずに直接放送枠を石原プロが買い付けて放送してたから代理店に払う余計な金が必要なかった
西部警察の地方ロケは話の中に地元企業のお偉いさんが出て棒読み演技したり商品名連呼したりと露骨な宣伝が入るんだよなw
2025/10/06(月) 21:46:53.17ID:qcehOW+m0
連ドラにアイドルや若手が集中するぶん
二時間ドラマに年配の役者が出る、って風に住み分けが出来てるんだと思ってたけどな
結局共倒れか。
ドラマはタレントにとって効率が悪いんだよ
役者は待つのが仕事と言われるぐらい連日朝から晩まで撮影するし待ちの時間も長い
バラエティやクイズ番組なら効率よく撮影して短い時間でギャラがもらえる

アメリカじゃバラエティは視聴率ドラマ以上に駄目なんだよね

権利関係が厳しくて再放送できないんだろう
だから再放送枠なくしてニュースにしてるし
たしか放送すると出演者にさらにまたギャラを払わないといけない

サスペンスはホテルタイアップがあるでしょ。
随所にそこに泊まってることと、館内のウリにしたい場所を映すとと、無理くりなセリフで言わせて。
その代わり最低でも全出演者、スタッフの宿泊費と朝食代無料、随所にタイアップ台詞を入れる時は更に広告費発生。

この手の番組は地方振興も兼ねてるところがあるけど、廃止が続くと地方振興にも影響出るんじゃないの

庶民は不景気の筈なのに、テレビのCM観ても「あっ、これいいなー、羨ましいなー、欲しいなぁ」とは思わんよ
年寄りは、いくらCM打とうが財布の紐が固すぎる

2サスって1年以上前に撮影した作品が未だに流れないとかよくあるよねオクラ入りなんてザラだよ
連ドラよりも経費の無駄使い 

テレビ局の制作は営業に首根っこ押さえつけられとるし
その営業も代理店にいい様に振り回されてる
海外では代理店が放送局を支配する行為は禁じられているとか
報道の公平性独自性を失うから
ところが日本のメディアは代理店や事務所と株式のクロスパートナーシップでずぶずぶ
コレも海外諸国では放送法でドコも禁じてること
八百長がまかり通るからね
局制作の映画をテレビ局を挙げて色んな番組にキャンペーン盛り込むでしょ
あの自演自体が他国じゃ違法なのw
2025/10/07(火) 00:13:10.96ID:oXBY3EGI0
女優としては絶頂期に『犬神家の一族』を残せたの幸せだったかな。あれだけ魅力的に綺麗に撮ってくれた市川崑に感謝
監督が事前にイメージを出しラッシュを確認するんだけど、いったん現場に入るとフレームの中は基本的には撮影照明の領域だよ。
市川崑や工藤栄一は自分で照明の頭越しにライト・レフ・銀紙・ミラーと位置を指示してたような話はあるけど普通はそこまでは現場で見ていられない。
長谷川一夫なんか監督の頭越しに撮影照明とツーカーだったとか。
市川崑が東京から小林節雄を連れて行ってそれを見事に無視したから初めは機嫌が悪かったらしい(ラッシュを観て納得)
2025/10/07(火) 00:13:41.27ID:oXBY3EGI0
所属タレントが出てるコンテンツの二次使用に厳しく規制をかけてるジャニーズ事務所

若者対象の連続ドラマと異なり、視聴者は中高年層の女性が多い。
「人生で様々な経験を経ているので、半端なことは書けない。
夫のリストラや子供の非行など、ドラマ以上の現実の重みを意識している」
2025/10/07(火) 00:18:31.70ID:oXBY3EGI0
野村芳太郎の八つ墓村やってたから見比べるとやっぱり映像そのものの出来が違いすぎるな
八つ墓村は、市川版犬神家と比べると空間の広がりとかカットとかで表現するテクニックが平凡なんだよね
ホラーテイストを出したいからと顔に妖怪メイクとかさすがにやりすぎだし

市川崑監督作品「天河伝説殺人事件」の価値が分からないヌケ作には言っても分からないだろうが
この作品は市川崑がパナビジョン・キャメラで撮影したまことに凝りに凝った映像作品
明るいレンズを活かして室内は横からの平行光のみで撮影している(もちろん補助光あり)
室内の人物は全身も顔も半分近くが影になり
正面からのアップショットも顔の半分が影
それも黒々とした陰影で異様な効果を生み出している

五十畑幸勇撮影監督の監修のもとに
4Kリマスターで本来の陰影深い映像をしっかりと商品化するべきだ
配信のヌルい画面では真っ黒な画面としか認識できない
2025/10/07(火) 01:35:00.43ID:oXBY3EGI0
若尾文子の声もねっとりとして色気抜群ね
若尾文子は20代の頃は童顔で可愛かったけど
増村保造と組むようになってから凄まじい色香出すようになっちゃった
映画で言うと撮影所システムが崩壊した1970年代以降にデビューした人たちはもう大女優とかそういう格付け無理だ

昔の女優って劇団から叩き上げだったり映画会社がオーディションで募って徹底的に演技を叩き込んでデビューしているのよね。
その後テレビ時代になったら芸能事務所が強くなって見た目だけで選んでろくに演技の勉強もさせずにゴリ押しするのが当たり前になったから、
美貌で演技のできる女優がいないのはその結果だわ。

不美人枠なのに「大女優」という感じがするのは、岸田今日子かしら…なんというか幽玄な雰囲気で只者ではないオーラを感じるわ

小劇団出身の役者がデカい顔をするようになってからレベルが下がった、
あの人たち妙に存在感を出したがるから全体のバランスを狂わすのよ

松雪泰子や鈴木京香のような肌質って、きめ細やかで色白で、テカリや毛穴やニキビとは無縁だから一見綺麗に見えるんだけど、
若い頃から「ツヤ・ハリ」と無縁なのよね

華族令廃止で、それまで税金を払わなくて良かったのに
税金などを払うようになってお金が必要だったから
旧財閥も解体予定だったけど
朝鮮戦争の勃発で工業事業を財閥に担う必要があって日本の財閥は温存された
2025/10/07(火) 10:50:55.62ID:oXBY3EGI0
1969年に公開「千羽鶴」
監督:増村康三//原作:川端康成
出演:若尾綾子(太田夫人)、京まち子(

日本では、千羽の折り鶴は切実な祈りや願いの象徴です
映画では願いが叶わない(鶴は折りたたまれているが飛べない)
*茶道 - 秩序と調和の象徴ですが、すでに崩壊した伝統です
*菊寺の沈黙 - 無力な若い世代
戦後、道に迷った日本の若者の世代の姿
*戦後の日本の価値観の崩壊のさなか、伝統やアイデンティティを失った人々
何もきちんと把握できずに浮かんでいる話
オープンエンディングは混沌とした内面世界と社会の空虚さを明らかにする。

俗悪な女茶人」ちか子が催す茶会で披露される美しい茶道具は、ちか子の「俗な職業的知識」の関心でしかなく

志野茶碗の名器の感触と幻想から生まれる超現実な美的世界と、俗悪に堕した茶の湯の世界の生々しい人間関係が重なり合って描かれている

実生活は完全に捨象された存在であり、美に対する感受性だけが生きて動いている」存在
2025/10/07(火) 11:19:41.89ID:oXBY3EGI0
中山美穂を女優と呼ぶのには抵抗があるなあ。
CMで固めたイメージをそのままドラマに押しつけて平然としてる女を見ると、すごくムカツクんだよな。

モデル女優はモデル時代の無表情が顔に残ってるから演技が下手。
アイドル女優はアイドル時代の媚び笑顔が顔に残ってるから演技が下手。
2025/10/07(火) 12:43:36.69ID:oXBY3EGI0
増村「赤い天使」、川島「女は二度生まれる」、若尾ちゃんはどちらも全てを”受け入れる女”を演じている。
それでいて、決して”都合のいい”ではない、力強さと自立性を感じさせてくれる。言ってみれば、「聖母」なのだが、中世ヨーロッパだったら魔女扱いされかねない、
そんな女を生々しく、しかも一定の品格さを失わず自分のモノにしている

増村監督作品はユニークではあるけれど、作品の完成度がどれもイマイチという感じ。
薄っぺらい心理分析のような台詞には、時に閉口することも・・
増村は東大出伊留学のインテリ特有頭デッカチだから、論理で攻めても実務経験には乏しかったんじゃないのか?
増村のは癖があるから、人に勧める時は『しとやかな獣』か原作ものの『卍』にしている。
2025/10/07(火) 18:09:22.17ID:oXBY3EGI0
…「この世」と「あの世」の間、存在と消失との間の、幽明をへだてるぎりぎり
の境界のか細いところに、日本の幽霊の特質が存在しているからである。すだれ
や蚊帳や破れた障子などの存在と非存在が共存しやすい日本の家屋の空間が幽霊
の「出現」と「消失」を保証しているのである。中川はこの「幽玄美」を誰よりも精緻に描出できる人であった。

「中川信夫はもともと才能のあった人だったが、本人が『控えめで地味な人柄』であった
ために、B級の映画会社に身を置き続け、戦争中は『流浪』の映画人生をおくっていた。
『生き方の要領が悪い』ために、いつも潰れそうな映画会社に入ってしまうのだ。」
2025/10/08(水) 21:31:10.29ID:clIc/AJf0
リボルバー藤田敏八
登場する男たちは、それぞれこれといった目的もなく、ただその場を生きているという感じである。
これは、70年代に藤田監督が描いてきた青春映画の登場人物のようでもある。
そんな彼らが、映画の終わりには、生き生きとして日々を過ごすようになる。


拳銃が盗まれ、それによって大きな事件が起きたわけではない。
犯罪を犯した者たちは、それぞれ惨めな結末を迎えることになるが、
しかし、それは彼らにとっては人生を生き生きと生きるための大きな引き金となっているようだった。
2025/10/08(水) 23:07:28.24ID:clIc/AJf0
週末はマフィアと!
マフィアに殺人の身代わりを頼まれた靴みがき屋の老人の話で、コメディタッチの作品であるが、大笑いするようなコメディではなく、くすっと思わず笑ってしまうようなユーモアあふれる洒落た映画である。
アメリカ映画なのだが、どこかフランス映画を思わせる上品な香りを漂わせた佳作だ。
それは、デヴィッド・マメット監督のウィットのきいた脚本と演出のせいであり、また、主演のドン・アメチーのヨーロッパ風の演技のせいでもあるだろう。
デヴィッド・マメット監督については私はよく知らないのだが、クエンティン・タランティーノや日本の三谷幸喜が大ファンだそうである。なるほど、この映画は三谷幸喜が監督してもおかしくないような題材だ。
ドン・アメチーという俳優は、1930年代から活躍していた人で、この映画の時はすでに80歳だった。この作品以後も3本に出演し、1993年に亡くなっている。飄々とした演技で、
まるでバスター・キートンのようにほとんど喜怒哀楽を表情に表わさないが、それでも内面の感情を演技してしまうというすごい俳優だ。

ドン・アメチーとは対照的に喜怒哀楽を表情に表わす演技で、マフィアの下っ端ながら男気をもったキャラクターを演じていた
2025/10/09(木) 11:24:15.67ID:VEh81X+K0
川島雄三『愛のお荷物』(1955/日)
本作は饒舌な会話劇になっていて、登場人物はみな丁々発止のやりとりを繰り広げている。
特に三橋達也演じる錠太郎は落語家のように軽妙だ。ただ、コメディらしく可笑しみがある反面、
時々回りくどく感じることもあって微妙だった。端的に言って、溜めを作り過ぎである。
大方の会話は話の道筋が見えているから冗長なのだ。結論が分かっているのにわざわざ迂回するような会話は聞いていてうんざりする。
先延ばしにするな、と叱りつけたくなる。コメディとしては古いタイプでなかなかきつかった。
2025/10/09(木) 14:34:10.82ID:VEh81X+K0
松竹は制作費を抑えに抑えることによって、少ない興業収入でも黒字にしようとする会社。
対して、東映はコケる映画も多いけれど、当たる時は馬鹿当たりするので、それで一気に他の赤字を取り返そうとする会社。
円盤、映像配信の時代になっても、そういう企業風土、企業文化が残っている。
だから、シリーズもので確実に興業収入10億円に達しないと判断したなら、東映は松竹と違って打ち切る。
553名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2025/10/10(金) 14:07:25.36ID:sSaXy2to0
快盗ルビイ
この映画が狙ってるのは、クラシックハリウッド的なロマンチック・コメディなんです。
映画序盤に顕著ですが、頻繁にクレーンでカメラ移動します。確実に「当時の映画」を意識してると思うんです。
昔はズームアップという技術がありませんでしたからね(たぶんその技術を早々に使ったのが、ヒッチコック『めまい』(1958年)だと思う)。
下の階から上の階へ、アパートの外観をカメラが縦移動します。
まるでヒッチコック『裏窓』(54年)。
で、小泉さんの部屋、窓から外が見える構図じゃないですか。星座がどうのとか言いながら。これ、窓の外に花火が上がってたら、まるでヒッチコック『泥棒成金』(55年)ですよ。まあ、泥棒の話だしね。
(たぶん花火を映した最初の映画は『泥棒成金』じゃないかな?だって当時はセット撮影ばかりだったから、花火を打ち上げられなかったはず)
そもそも小泉さんと真田広之の出会い、アパートの階段の上下で会いますが、これはもう『ティファニーで朝食を』(61年)ですよ。
お着替えも含めて、小泉さんをオードリー・ヘプバーンに見立ててるんだと思います。
2025/10/12(日) 00:16:29.85ID:wWHl7HzS0
大平(透)
 気の毒ですね.
 なんで気の毒かって言ったらば,昔の名優の吹替を一つもしていない.
 アニメっていうのは無声です. 声が出ていない.
 何もないところに自分が作って声をいかにも話しているようにするわけでしょう.
 『話しているよう』だけじゃだめなんですよ.
 今のアイドルたちは話しているようにするだけで,この人物,キャラクターが生き生きと生きてこない.
 画面から飛び出して,こう鷲掴みにしない. きれいごとになっちゃう.
 それはそういう勉強をするチャンスが無かったからじゃないかと私は思うんですよ」(p.15)

・「宮部(昭夫)
 僕は今,尚美学園というところで朗読を教えてるんですよ.
 でも,若い子たちには文学的な勘が全くないですね.
 文章の内容をじっくり把握しなければいかんと再三言ってるんですけど,どうしてもだめなんです. 活字を追うだけで」(p.49)

・「森山[周一郎]
 だってまず使うほうが,ソツのない奴しか使わないんだもの.
 下手でも個性的なやつを育てながら使うには,時間も予算もない.
 僕たちは育ててもらったみたいなところがあるけど,そういう意味で若い連中は可哀想だよ」(p.81)

・「とり
 相手の芝居への『受け』や『引き』が全然ないということも,よく舞台出身のベテランの方はおっしゃいますね.

大塚[明夫]
 そうです. 噛み合わせがないんですよ.
 みんなこうやって口に合わせようと思って一所懸命モニター見てるでしょう.
 本当は僕とあなたと,お話しているはずなのに,画面と合わすことに神経がいっちゃってるからね」(p.123)

・「羽佐間[道夫]
 だから今のアテレコはアンサンブルでやらないで,一人ひとりが主張しちゃうんですよ.
 相手がだーっと来たらこっちは引っ込むというようなことができない.
 声優雑誌がスターを作ろうとしているから,どんどんアイドル化して,本来の芝居を作るというところとは関係ないところでファンがついてしまう.
 とりさんはよく書いてくださるけど,『この人はどういう芝居をしているのか』
『この役にはマッチするが,この役には合ってないのではないか』と,声優の演技批評まで及んでないんですよね.
 だから『人よりも目立つ』ことしか考えられない」
2025/10/12(日) 19:47:23.01ID:wWHl7HzS0
戦後間もない昭和21年にこのような明るいタンゴの調べに乗った甘く切ない歌が流行していたとは驚きです。 
現実を見渡せば悲惨というよりも"無惨"な光景が広がり
、絶望や落胆しかなかったであろうこの時期でしたが人々の心は折れてはいませんでした。

粋なジャンバーの アメリカ兵の 影を追うよな甘い風」
昭和21年当時の複雑な思いが伺える
強かったはずの自分たちを打ち負かしたアメリカに対する羨望と引け目の歌詞であり 昨日の敵の粋な美しさをどこかで感心して讃えて(?)おり、
「アメリカ強い」としないことには自分たちが弱かったことになってしまい、しかし同時にそのことが 自分たちのほうが優れていなかったという負けた後ろめたさを大きくしてしまう。
また、無駄な戦いをして無駄に死んでしまったことに結果として行き着いてしまう。
それらが影のように心と体を覆ってアメリカ兵を見ているように感じる
「夢を見るよに 花籠抱いて」
もう何もない焼け野原の解放感すがすがしさ パンドラの箱に最後に残った希望のような余韻
2025/10/12(日) 22:31:27.97ID:wWHl7HzS0
総制作費が7億で、現在の通貨価値にすると80億以上。当時としてもハリウッド大作に比肩するレベルですね。
それでも、本作の8倍近く(54億円で今なら600億以上!)の総制作費を突っ込んだ「ベン・ハー」には流石に負けますが。
大映に70ミリフィルムの上映館がなかったのに日本初の70ミリ映画
2025/10/13(月) 15:28:20.45ID:E+L9w5mT0
和田誠の監督第3作は5話からなるオムニバス映画で、実はこの前に日本のショービジネスを描いた自著の映画化『ビギン・ザ・ビギン』(82年)が頓挫している

2話目の「吉備津の釜」
「短篇だから、いきなり物語の核心に入る、という手もあると思う。原作がそうだし、シナリオも第一稿ではそうなっていた。けど、もう少しヒロインに感情移入できないかなあ、
というプロデューサーの意見を入れて書き直したのがこれで、彼女が事件に巻きこまれそうになるまでの心理状態がうまく出せた反面、尺が長くなるという欠点もあった。心情の方をとったんだけどね」

日影丈吉原作の「吉備津の釜」(59年)は、候補のひとつではあったが却下されたエピソードだった。
代わりに撮影予定だったのが江戸川乱歩の「人でなしの恋」(26年)である。
このオムニバス映画は怪談で纏めるということで企画されたもので「人でなし恋」はそのメインディッシュとして予定されていた。
だがその映画権はすでに『RAMPO』(94年黛りんたろう)に抑えられていたのだ。和田。
「乱歩のこの物語は今回最初にシナリオ化したものでもあるし、よく書けたという自信もあった。そしてぼくが日本映画界最高と思われるスタッフを組んでもらったのも、実はこの物語の映像化を頭に描いたからだった」
そんなわけで急遽、選ばれたのが「吉備津の釜」だった

第4話の「火焔つつじ」
奥に続く廊下は実は坂になっていてボールでも置けば向こうに転がって行くという。設計した小澤秀高は言う。
「映画ってのは“奥行き”が大切なの。奥行きはワンカットで人間の心情を表現できたりする(略)あの廊下はさ、階下に向かって落ちていくように、
それでいてリアルに傾斜を作ったんだ。なんか奥に、そして下に吸い込まれていくように見えればいいと思って」
駅から宿に向かうふたりも、闇の中に消えて行くように計算された照明使い
2025/10/15(水) 13:07:50.14ID:itGfpVi40
GHQの占領下で日本の国家予算の1/3以上が米軍関係だった。米軍が要求する資材や物品は最優先で期日通りに納品しなければいけなかった。だいたいがどんぶり勘定でいい加減な要求だった。
したがった米軍による横流しで巨万の富を築いてアメリカに帰国する米軍関係者が多くいた。米軍兵士の住宅も日本の予算で建設した。
現在の代々木公園にはワシントンハイツと呼ばれた米兵向けのモダンで立派な住宅があった。そこは敷地が広く住宅もアメリカ基準の住宅が林立した別世界で
、日本の各地に同じような米軍施設があった。米兵宅で家政婦として働く日本人女性が数多くいた。彼女らは非常に勤勉に働き米軍関係者からの評判がすこぶる高かった
。日本の歳出は米軍関係が最優先だったので日本国民向けに予算を割く余裕がなく、国民生活はとても疲弊した
2025/10/15(水) 13:28:03.93ID:itGfpVi40
世界観を語る上で、小林旭主演の日活映画「渡り鳥シリーズ」が参考とされ、大きく影響している
長坂秀佳は日活の「渡り鳥シリーズ」をほとんど観たことがなく、「人に聞いた大体の雰囲気で書いた」と語っている

脚本の殆どを執筆した長坂秀佳の独特の世界観、主人公の早川健を演じる宮内洋の独特の台詞回しと軟硬自在の演技などで数々の特撮ヒーロー番組の中で高い人気がある

特撮作品の中で高視聴率をマークしたが
関連玩具が売れ行き不振のため、ズバッカーなどの戦闘シーンを増やすように要求するも「自分はドラマを書きたい」として脚本の長坂が全く聞き入れず提供スポンサーのタカトクは降板。
これに伴い、本作品は3クール弱の全32話で打ち切りになった
人気は制作側が設定していた年齢層より上の年代である大学生が中心で、それがキャラクター商品の不振の一因ともなった
2025/10/15(水) 16:48:00.33ID:itGfpVi40
やっぱり、ジョン・ウィリアムスですね。
池辺先生は、『作曲家が書いたスコアがそのまま演奏される様になればクラシック』との分類を述べられてますが
既にその地位を得ている作曲家だと言えましょう。
軽めのポップスによる映画音楽が隆盛を極めた時代に、オーケストラを呼び戻したその功績と衝撃は素晴らしいです

佐藤は早坂の弟子になって以降音楽学校で学んだ手法は
“映画音楽には役に立たない”として捨て去ったりしている。
一方で武満はグループ「実験工房」の活動の一環として映画音楽もやっていたというだけの事。

既存のクラシック音楽を上手く使ってある方が印象的。ブレッソン「バルタザールどこへ行く」
でのシューベルトとかタヴィアーニ兄弟「父」でのこうもり序曲とかね。エリセも上手いかも。
蛇足ですが日本映画でのクラシックの使い方サイテー。

映画のサントラや既成曲を使ってること自体、日本のTV界がいかに貧しい(単に金の話だけでなく)かの証拠。

「オネアミスの翼」はちょっと。。。単体で聴くと良いのだけど、映画をとっても盛り下げてる気がする。

ハンス・ジマー>ジェリー・ゴールドスミス」じゃないですか?
というか、ジェリー・ゴールドスミスの音楽って、若い人が聞くとダサく聞こえま
せん?メロディーセンスの良さと、その多彩さは認めます。でも、楽器の使い方
というか、オーケストレーションというかが、時代遅れになってきてません?
ジェリーは、「オケ+シンセ」の技術が低いために、メロディーは良くても、どう
してもカッコ悪く聞こえてしまいます(年寄りが無理して若作りしている感じがします)。
中高生時代にそれなりにオケ+ユーロビート顔負けの打ち込み系の邦楽に触れた若い世代は、どう考えてもハン
ス・ジマーの音楽の方をカッコよく感じるのではないかと思います。

ジマー = 日本の歌謡曲(小室、つんく、ビーイング・・・)
売れ線のわかりやすいメロディかいてるだけ
ホルスト惑星」の火星のパクリ丸出し「グラディエーター」

モリコーネは使いまわしの駄作も多い
2025/10/15(水) 17:08:25.64ID:itGfpVi40
ポップス系の曲の中に、ドビュッシーやラベルの曲の和音やフレーズが
さりげなく使われていることがあります。(松田聖子や小椋圭など)
知っている人が聴くと「あ、パクリだ!」とピンときます。
でも知らない人にとっては、凄い作曲能力としか思えないのでしょうね。

ムーミン(初代)のBGMも驚異的に良い。宇野誠一郎氏の珠玉の作品の
ひとつだね。今のアニメ音楽の大半は、あの時代に比べれば聞くに耐えんな。
「アルプスの少女ハイジ」だったか、三善が書いた主題歌は、とうてい
テレビ、それも子供アニメ向けとは思われない変わった曲だった。
三善だから、とか言わんが、昔のアニメはたしかに今よりずっと手がかかっていた。
その最近のアニメを、多くの人が喜んで見てると思うと、仕事をやる気がなくなりますね。
金の亡者の代理店、一次制作会社がギャラをむちゃくちゃピンハネして、下請け制作会社がぴーぴー言っているというのもあります。
2025/10/15(水) 17:47:12.72ID:itGfpVi40
コルンゴルトを聴いて映画音楽みたいだと思うのは間違い。
コルンゴルト映画音楽に似ているのではなくて、
映画音楽がコルンゴルトに似ている、
というか、彼のような亡命者たちがハリウッドに後期ロマン派風の音楽を持ち込んだのだ
映画音楽の歴史をふりかえるとき、コルンゴールド以前と以後があると思う。
戦前のフランスやドイツ、イギリスのいわゆるクラシック作曲家の音楽を、芸術音楽の神童として有名だったウィーンの高名な作曲家がハリウッドに
持ち込んだとき、今日の芸術としての映画音楽のスタイルが始まったということ。

ジョンは如何にもアメリカの作曲家って感じだな
ロマン派的な中に含まれる近現代的なエッセンスが絶妙、あとジャズの影響とかも。

ウィリアムズのようにかなり色々な曲に似ている作品を作る作曲家も大勢いる。
この理由が「テンプトラック」(監督やプロデューサーが映像に既存曲をつけて、そんな感じの曲を作曲家に発注する)ということ。
テンプトラックからイメージが違いすぎるとボツになる
黒澤明がこれをやるんだよな。
だから、早坂や武満の黒澤映画での音楽には、溝口作品や小林作品で聴かせた音楽のような、人を圧倒するような創造性は無い
『2001年宇宙の旅』はキューブリックが貼り付けたテンプトラックに合わせて『スパルタカス』のアレックス・ノースがオリジナル曲を
書いたのだが、キューブリックに「こんなのしか出来ねぇのか」って破棄されて、あわや裁判沙汰に。以後、キューブリックが自作に既製曲
しか使わなくなったのは、ご存知の通り。

2流のラフマニノフみたいな音楽を流して、「こいつらは恋愛してます!」ってアピールするようなのは願い下げ。
というか、ラフマニノフという作曲家の存在意義もつい最近までは危うかったと思う。チャイコフスキーの二番煎じというか。

進歩史観に外れるもんは大衆芸術と呼んで良いんじゃないの?

60〜70年代的進歩史観なんてものは、馬鹿馬鹿しいとは思うけど、オリジナルな味を作れなかった店ってのは、
店前に行列が出来ても、老舗の仲間入りをすることは出来ない
先鋭的な作品を残し、新たな可能性を提示した芸術家に対しては、名誉ある地位を与えて当然
だから、武満徹が創った、映画『怪談』の音楽は、彼の純音楽作品以上に評価されるべきだとも思う。
怪談』での武満ってのは、映画音楽家とも音響マンともつかない立場にいて、映画に流れる音響をトータルに制御する仕事をしてますね。そうい
うコンセプトは、1950年代の早坂文雄の仕事などに端緒を見出せるとは言っても、当時は非常に新しかった。しかも、それ表現としてちゃんと成立
しているところが凄い。映像と音響をいかにシンクロさせるべきか、ということに関しては未だ確固たる理論が確立しているわけでは無い。『怪談』
で武満が目指した方向がもっと多くの追随者を生んでいたら、日本の映画音楽の歴史も変わったと思う。
武満の映画音楽での調性音楽は、「系図」のようなオーケストラ作品での調性音楽などよりずっと良い。これは間違いない。漏れの推薦曲は「どで
すかでん」だな。ただ、「波の盆」のように演奏会用組曲に編成すると、かなりクドく感じられる。
2025/10/15(水) 18:00:03.70ID:itGfpVi40
フランツワックスマン「サンセット大通りとかコーンゴールドなどは移民であるのに対して、
アルフレッド・ニューマンは、このレベルに達した最初のアメリカ生まれの映画音楽家とされている

武満以後の現代音楽系映画音楽書きで、第一に推薦出来るのは鈴木治行だな。
クラシックや現代音楽の素養をもって映画音楽を書いている作曲家は数多いが、
早坂や武満のように、映像と音との関係性についての新たな可能性を切り開いている人物
2025/10/15(水) 20:25:19.79ID:itGfpVi40
映画「アマデウス」の中で「となりのトトロ」の曲

久石はパクリの常連に決まってんだろ?
名前からして久石譲(クインシー・ジョーンズ)のパクリなんだから。
アマデウスでサリエリが弾く曲をモーツアルトが弾くけど
あれはモーツアルトのドンジョバンニで、あの曲自体が他人からの思いっきりなパクリだよ、似すぎだよ。
でもクラシックの世界ではパクリって概念がないんだよ。
モーツアルトはパクリの宝庫・・・だけど原曲より凄い曲にアレンジしてる。

ナウシカなんて昆虫(そら飛ぶムカデみたいなの)に追われるところなんかは思いっきりミニマルだし、
ナウシカがオウムに殺されかけて復活するところはヘンデルのサラバンドの主題をそのまま使っている、そのあと独自の展開をするけども。
久石がナウシカでテリー・ライリーパクってるのは、有名な話英米人は腐海のシーンを見せると必ず気ずく。

ぽにょぽにょは、シューマンの楽しき農夫のパクリ。ていうか確信犯的盗作。
あと、もののけ姫の中にショスタコービッチの五番とほとんど同じ音楽が出て来る

四小節までなら同じフレーズでも著作権的には問題ない
何小節までと法律で決まっているわけではありません、たとえ100%模倣でも原作者が文句を言わなければ問題ありません

西洋音楽には模倣(つーかぱくりつーかオマージュ)の伝統があって
その様式を踏襲しないといわば外道扱いされるらしい
音楽史上18世紀以前の変則的な音階や和音を持った音楽は
(土着民謡も含めて)ヨーロッパでは多く葬り去られた
(異端の音楽としてスコアですら焼き捨てたらしい)
2025/10/15(水) 20:38:30.12ID:itGfpVi40
「HANABI」での久石譲のスコアがあまりに佐藤的だと思ったら
佐藤って彼の師匠だったのね。
だからか佐藤は「ソナチネ」の音楽を遠慮なく酷評している。

細野晴臣が人生でもっとも衝撃をうけた映画音楽に「用心棒」を挙げていたね

用心棒は特殊な編成なのでそもそもコンサート向きではないところをファンの要望が強いため無理矢理オーケストラに移し替えたらしい。
また、オリジナルのスコアが紛失してしまったのが痛い。

佐藤勝って、東宝と日活の作品を多数手掛けているけど、意識的に曲調を
変えていない?というか、日活作品は、いわゆる佐藤節というか、黒澤作品や
岡本作品で聞ける佐藤らしさが全く感じられない

氏の音楽は効果音ギリギリのものや、キャラクター心理描写に踏み込んだものがとても多い。
2025/10/16(木) 10:51:15.76ID:omeqclJc0
雪室 俊一(ゆきむろ しゅんいち
ちばてつやの作品については「それまでの漫画は読者を笑わせたり、ハラハラさせたりするが心には何も訴えない。
登場人物に血が通ってない」と感じるものが多く「ロボットが出なくても、
清く正しく強いスーパーヒーローが登場しなくても、こんなに魅力的な作品が出来ることをちばさんの原作は教えてくれたのだ

プロデューサーなど数名が集まり4稿、5稿と修正する“脚本会議”制度は疑問を呈しており
「建設的な意見はほとんど出ず、悪くいえばアラ探し大会」「ストーリーは破綻なくまとまり、人物の動きに不自然なところはない。
しかし、優等生の作文のようにハートがない。女性でいえば整形美人だ。子どもたちは整形美人より、鼻ぺしゃでも、
おもしろいお姉さんのほうが好きなのだ」と話すほか、2001年には「船頭多くして船、山に登る」という言葉を引用し
「船頭多くして当たった番組は一本もない。いま求められているのは、
こじんまりとまとまった本ではない。多少、荒削りでも作品の中に脈々と血が流れている、個性的な本である」

池波正太郎が原作のセリフを丸写しにした脚本家を「文字で読まれることを想定して書いたセリフと、
耳で聞くことを想定して書いたセリフが、なぜ同じなのか」
2025/10/16(木) 21:13:05.21ID:omeqclJc0
「ちょうど『タイアップ』の始まりぐらいで。香川に行ったときは、冷凍食品の工場にわざわざ聞き込みに行って、機械が動いている前で『この人見ませんでしたか?』って(笑)。小林さんって専務がスゴイやり手だった」と明かした。

 また検問のシーンでのエピソードも披露。「『西部警察』は日産だったから、検問にひっかかるのは日産か外国車。『太陽にほえろ』はトヨタだったから、トヨタか外国車が引っかかってた。
そのあと撮った『ゴリラ(・警視庁捜査第8班)』は三菱。(石原プロドラマは)そういうののはしりだった」と当時の協力先を明かした。一方で「でも今はさすがにね。逆にそういうのも見てる人がわかるから、『なんだ』っていうような時代になった」
2025/10/16(木) 22:31:05.74ID:omeqclJc0
刑事ドラマとしての脚本のクオリティなら、特捜最前線→Gメン75→太陽にほえろ!の順番。ドンパチばかりの西部警察にクオリティなんて言葉はなかった。まだ、大都会の方が日テレ系でそれなりに脚本に配慮していた。

昭和50年代は各局が刑事ドラマを制作し毎日どこかのチャンネルで放送されていた。
ハードボイルドなGメン、青春ドラマの太陽にほえろ!、リアル指向の特捜最前線など味付けの異なる刑事ドラマを堪能できた良き時代だ。
2025/10/16(木) 23:22:33.09ID:omeqclJc0
元々何故日本テレビが大都会をやる事になったかと言えばつい最近倉本聰氏がポロっと言ったように石原プロ救済の為だからな
慎太郎から讀賣新聞経由で出てきた話だけに上層部が動いていたから日テレ主導で国際放映から石野氏引き抜いたり製作費割り増しとか当然の如く異例尽くめなんだよ
んでパート3までやって借金完済して本格的に自分達主導で始めたのが西部警察

大都会のパート2あたりまでの頃はまだ金が無い時代だからか意外と体育会系の色合いが薄いんだよな
資金が豊富になった西部警察時代はホテル貸しきったり豪勢な話が伝説的に伝わると同時にパワハラ的な話も増えていく

柴俊夫とか三浦友和はスポーツ刈り、体育会系、折り目正しいから裕次郎が好きそうなタイプだよ。
外様の舘ひろしが入社して、プロ内の年齢構成のバランスが崩れて、神田正輝や峰竜太とトラブルになったこともあるから、
他社からのこの人材をレギュラーに入れて、バランス取っていた面もある

フロントガラスがクモの巣に割れるアクションは後部座席からパチンコで金属玉を打ってる
部分強化ガラスだった頃は定番だったが、合わせガラスになってからは銃弾の穴が開くパターンへ変わったな

湖は海保の管轄外。河川の延長だから水上警察あるいは県警が撮影許可出せばOK

とにかく爆破の技術は凄かったらしい
いかに安全に、それでいて凄まじい炎と粉々に吹っ飛ぶような光景を見せる技術。
2025/10/17(金) 13:25:01.34ID:mpQHB72B0
この頃のあぶない刑事はもっと以降のコントみたいな笑いではなく洒落た台詞での笑いなのが良い
2025/10/17(金) 15:36:08.30ID:mpQHB72B0
昔から石原プロの現場がムチャクチャ危険なのはスタント業界で知らない人間は
いません。本来、プロのスタントマンは現場でリハを繰り返し、乗る車も
自分の手で念入りに整備するのが基本。ところが石原プロは、いきなりロケ地に
呼びつけ、『乗る車はこれ、こうしろ、ああしろ』と、リハ無しのぶっつけ本番が
当たり前になっていた。文句を言おうものなら現場責任者の小林専務が
『気合でやれ!』って殴る蹴る。そのくせギャラは相場の半額以下。
2025/10/17(金) 15:57:26.87ID:mpQHB72B0
石原プロは基本映画屋だから、「NGシーンは恥」と思っている連中が当時は多かったのだろうな。
だから、NGシーンのフィルムは全部処分して、NGシーンを集めたDVDとか、メイキングを集めたDVDとかも現状以上は無理だろうな。
今は「NGシーンさえ売り物」だからな。俳優がちょっとセリフ噛んだだけで大喜びで放送してるし

破壊車両は普通に考えて車検切れでしょ

公道で撮影する時は正規ナンバーが付いた車両で無いと違法になってしまうが、
そこは役所と撮影側が暗黙の了解で、撮影する時は一定区間を閉鎖、その閉鎖区間では、
ナンバー無し車両でも走行可にしている。もちろん石原プロ側が事故の際、キチンと補償するから。
だから閉鎖区間には必ず警察官が付き添っていて、稀に警察官が棒立ちしてる姿が映ってしまう。
地方ロケなんかで周囲をよく見ると確認出来る
最後の方になると、カースタントや車爆破がどっかの工場(日産の輸出用ヤード?)の敷地内が増えたね。
都内の許可が降りずらくなったのか?

あんまりムチャやるから道路が傷ついて使用許可が出なくなったと聞いた。
また、愛知ロケでは暴走族への影響を考え(当時死亡事故等が全国トップ)、カーアクションは
ほぼ出来なかった。鹿児島ロケとは違って、土手での走りが限界だった。
だからあとは安易なただの爆破に走った。それこそ戦隊物みたいに埼玉の山奥とか工場跡地内とか。
2025/10/17(金) 16:18:31.64ID:mpQHB72B0
全部じゃないけど、予告編や放送当時の番組スポットCMは裕次郎が編集に立ち会ったり、自ら編集を行っていたらしい。
あと、「大都会 闘いの日々」のオープニングは自ら監督とカメラマンもしていたのは有名。
死ぬまで抱いていた「映画を作りたい」という想いは、ギャンブルになる(そして大損する)劇場映画ではなく
テレビドラマのオマケみたいなところで自己満足して紛らわしていた。
それから、事務所にある試写室で昔作った自社映画を仲間と観るのが憩いの時間だったとも。

小学校の時にひどいいじめにあった。悪い奴らがクラスを支配していた。
西部警察を観て「やっぱり正義は勝つんだ」と思って溜飲を下げていた

爆破等の派手さやマシン系が好きな人はPART2以後の方が好きなのかな?
出てる面子も明るく健全な印象の役者が多く、子供も無印より受け入れやすい
無印は、アウトロー&暗さの大都会の魅力を残しつつ娯楽性を高め、見やすくなった感じ
リキやゲンのような、どこか陰を感じる役者がいるのも大きい

当時トミマツとか軽薄アクションものが定着しつつあった中で西部警察は時流に逆らった作りだろうな。
言わずもがなだが、流行を追うことが必ずしも正しい方向性だとは思わん。

80年代中頃からドラマでは既にトレンディードラマが流行出していて、
アクションでもスマートでカッコイイ・アクションが求められていた時代、
昔ながらの大量破壊・大量爆破で戦隊物を連想させるゴリラでは、
そもそもネーミングにぺケが付いて、連想させる時点で始めから見ない方向になる。

モノラル=聞き取り辛いこもった音、ステレオ=聞き取りやすいクリアな音
だと思っている馬鹿は未だに多いよね。
2025/10/17(金) 16:41:09.01ID:mpQHB72B0
時代劇も脚本が金太郎飴だったからな
俺が子連れ狼ぐらいしか評価しないのはそういう意味
原作ない連ドラはつらい

西部警察も後半は、刑事達の荒々しさが減って、車両頼みだったからな。
 ドラマとしては大都会シリーズの方が、型破りな刑事魂が主体で良かったな。

渡哲也の大根丸出しの演技と西部警察の大味なストーリー内容が程良いマッチングだった
逆に演技が上手い役者だと湿っぽくなり過ぎて西部警察独特のドライな感じが出せない
演技派は皆特捜最前線に行ってた
特撮畑の役者がなぜかみんな重厚な特捜最前線に行って
特撮とは無縁な石原プロが特撮系刑事ドラマを作るんだから世の中何が起こるか分からない

地方遠征すると、「団長、日産自動車△△支店が協力を申し出てくれました」と、
支店長みたいな人が出てきて素人台詞を言う

パート2のころは田中浩の丸大「わんぱくでも良い、たくましく育てば」のCMは
印象に残ってる。 パート1の頃は提供でダイエーが一番最初にアナウンスされてきがする。東芝は二番目。

全シリーズ通してCMスポンサーになってるのって宝酒造だけなんだね

小林昭二は西部警察の南刑事役で、ウルトラ、ライダー、戦隊と3大ヒーロー番組のレギュラーの快挙達成
2025/10/17(金) 18:19:07.74ID:mpQHB72B0
西部警察で石原プロは広告代理店を仲介せず、スポンサーと直接取り引きをしていたそうです。
また地方ロケで、地元企業の看板をバンバン映す引き替えにスポンサーになってもらった

石原慎太郎が運輸大臣だったのは87年11月〜88年12月の竹下内閣の時だから、西部警察の時期とは全く合わない。

道路で車両を転倒させると道路に傷が絶対に着くよね?
一般道路なら、その修理代だって石原プロかテレ朝が出さなきゃならんからな。
そもそも傷が着くと分かっているのに撮影許可で出るはずがないし。修理すればいいという問題でもなし。
ちなみにドリフトとかで着くタイヤマークですらダメらしいぞ。
だからカーアクションは山中や廃工場や私有地じゃないとダメだったらしい。

道路に傷が付くは撮影許可を出さない為の名目に使われたとか
80年代に入る、とくに83年頃は高校の三ナイ運動と共にテレビのアクション物にPTAなどから抗議が入ってたから。
70年代終り頃から校内暴力が全国規模で盛り上がった影響で、暴力シーンなどに影響される未成年を危惧、
テレビの刑事ドラマなどにPTAを始め多くの父母がテレビ局を始め行政や警察に苦情を入れ始めた。

最近の刑事ドラマ(2時間ドラマ含めて)は何が駄目かと言えばハッキリ言って、犯人役の悪役俳優陣に全然魅力を
感じない。外見からして悪役の顔じゃないし、演技力も全く迫力無い。

裕次郎さんは安定した低音と倍音成分豊かな声質、素晴らしい歌唱は天性のもの
「自分は素人だから」という理由で紅白歌合戦への出演を依頼されても生涯断っていたそうだ。
「年末年始の仕事するのはアホ」が本音で、毎年紅白オファーがしつこいのでハワイへ逃げた。
2025/10/17(金) 20:07:49.78ID:mpQHB72B0
皇居の周りでカーチェイスやったり装甲車走らせたり、そんなもん良くできたな。 
新宿駅地下道で銃撃戦なんてのも今じゃ無理だろう。

やはり自動車会社がきちんとスポンサーに付いていたというのはデカいね。
普通は自社の車が壊されるとわかっていて協力するはずがない。

専務が儲かる方法を熟知してたからこそ長くやれたんだよ
車なんかも安く仕入れる独自ルートをもってたし確か平均2〜3万円くらいで仕入れてたらしいからね
普通は毎度毎度こんな値段じゃ仕入れ出来ないよな
しかもエンジンがオシャカにならない限り打ち出しと再塗装で
何度もリサイクルしてから爆破or水没させてたからホントあの専務はしっかりして

ちょうどこの頃舌癌再発が危惧されたようだ。
西部3の途中で八重歯を削っていたことがわかると思うけど、これもその影響。
当時は癌はタブーで正しい死因を発表しないことも珍しくなかった。
脳梅毒なんていう都市伝説もあるくらいだし。

栄光5000キロのスタッフクレジットにも元専務の名があった
コマサは日活からの出向社員扱いで製作協力していた。
劇場でみたけど、たしかに遺言どおり大スクリーンで見てほしい大迫力の作品だった。
ところが、失礼ながら黒部・栄光以後の富士山頂などの作品は確かに見劣りがする。
2025/10/17(金) 20:34:45.67ID:mpQHB72B0
3大古典は、まちがいなく次の3つ。
ブリット
ザ・セブンアップス
フレンチ・コネクション
やっぱり、ポイントは躍動感だと思う。
たとえば「バニシング・ポイント」なども古典としてあるが、
やはりチェーシングのシーケンスが間延びして、単なる高速ドライブのドキュメンタリー作品のように見えて、アクビがでる。
あとは、音。
エンジン音やブレーキ音などが重要な要素。
たとえば、「キャノンボール」などは、コメディだが、冒頭のカウンタックが疾走するエンジン音は素晴らしい。
「ブリット」は、躍動感と音が素晴らしい上に、マッハ1を近接でとらえるカメラが意図的にぶらしていて、素晴らしい映像となっている。
この映画が作られて、もう30年以上たつが、カーアクションという意味でこれを超える映画はいまだに作られていない。
ブリットは車による鬼ごっこみたいな雰囲気から段々カーチェイスに移行していく
過程のうまさもある。 殺し屋達がカーチェイス前にシートベルトを締めるシーンもなんか盛り上がる
ハイウェイに乗ったあと、マックィーンがすっ飛ばしながら、やたら空ぶかしをするシーン
があるが、当時はフューエル・インジェクションは無く、キャブレター仕様なので、空ぶかし
してシリンダーに強制的にガソリンをたたき込んでいるんだと

「いつかギラギラする日」
邦画No1のカーアクションだよ。最後に日産テラノがパトカーの大群から脱出するシーンは見物。

「ローニン」まじで怖かった!高速逆走!!
近作ではロー人を超えるものはないな。
古いのでいうと『ザ・ドライバー』かな。特に地下駐車場で少しずつ車を壊していくシーンは痛快!

ダーティーハリー5のミニカーと車のチェイスは笑った。アングルがカーチェイスもののギャグになってて。

車がただ単にドッカンドッカン
クラッシュする映画はカーアクション映画とは呼ばない、
クラッシュしてバラバラに吹っ飛んだり爆発で車が空中回転アボーンみたいな映像はちっとも面白くない。
2025/10/17(金) 20:57:23.00ID:mpQHB72B0
ダイハード
刑事が主人公のわりには刑事ドラマという感じがしないね。
刑事ドラマという形でのセールスも無かったと思う。
デカ部屋、取調室、聞き込み、犯人追跡、刑事同士の交流等々全部は無くても、
こういう要素が無いと刑事ドラマという感じがしないのだな。
単に刑事が主人公の映画が、刑事ドラマでは無いと思う。

 「ダーティハリー」は一作目を観た時、既視感の嵐。名作の宿命ですな。だから
二作目の方が私は印象に残っている。

破壊!
ハイアムズはこれが頂点だったね・・・
中学生の頃に初めて見たんだけど、常に台車の上に乗せて動くまわるカメラワークが躍動感があって、厨房ながらに感心したもんだ。
「シカゴコネクション」見たときこれを思い出したよ!
有名なのはもちろんいいが、B級というか、深夜にしか放送されないような古いものでも、それなりに面白いのが刑事映画の良さだね。
あの頃の刑事アクション(コメディ)には同じような匂いがあった
2025/10/17(金) 21:20:20.77ID:mpQHB72B0
アクション映画は客が入らないんだよ
ハリウッドのは入ってるようだけど、あれは「大作」だから入るんで、決して
「アクション」が人を呼ぶんじゃあない
その証拠にハリウッド物でも小規模公開のアクションは全く入らない
考えられる理由はオネーチャン達が敬遠すること。
そして野郎共や厨房連中はビデオで済ましてしまうこと

昔は世界が日本のチャンバラを真似てた時代があったけど
日本の武道は映像にしても画にならない。
まずキレが無い。武士道などと言った精神論にすぐ走る。
80年代の香港アクションを見るとジャッキーとかサモハンとか
ものすごいアクションしてるけどクンフーとか武道の精神論は二の次で娯楽性を優先した作品づくりだった。
彼らの場合、武道家としてより映画俳優として映画の中身を優先

ハリウッドも香港もアクションの図式は超単純
「悪いやつをかっこよくやっつける」それだけ。
「命をかけて戦うことで解りあう」とか「生きることとは、戦うこととはなにか」とか
そういう哲学はほとんどない。

優れた武術ってのはコンパクトな動作で無駄な動きが無い。実戦性を追求するほど地味になってくる
だから凄く地味に見える(それだけ洗練されてる)
テコンドーとかみたいに「 無 様 な く ら い 大 振 り な 武 術」 
だったら「 一 応 派 手 」には見えるよ

アクション映画は、基本的にはアクションは分業。演出はしてもアクション部分には、その道のプロ入れる。
ケイン・コスギ主演『マッスルヒート』等、見るとよく分かる。
アクション監督はちゃんとしてるのに、周囲がアクションをどう撮るのかまったく理解してないから、ぬるイアクションが次から次に出てくるだけ。
『修羅雪姫』なんかは、良い例だと思う。ドニー・イェンのチームが全面的にアクションシーンを作っていた。
アクションに必要なチームを信頼して呼べば、アクション自体はモノには出来る。
(モノによっては、海外でやってもいいわけだ。実際『キル・ビル』は日本のアクションシーンを中国で撮っている。
『ブラック・レイン』もアクションはほとんどアメリカで撮影)

快傑ライオン丸は凄いスタントしてるらしいよ
走ってる馬の腹に捕まって、その状態から手足を使って背中に回るとか
その時のスタントは日本TV&映画史上でも最高の危険度だったらしいよ
2025/10/17(金) 21:48:11.78ID:mpQHB72B0
日本刀の刃と刃でも「カキーン!」ってのは、居合道の経験がある者ならイヤーンな演出だ
黒澤映画での殺陣では、不自然に刀を合わせるシーンが殆どないよ(特に1対1では)

カキーン!で鍔迫り合いがあるのは、
邦画の剣術シーンは歌舞伎の流れだから、「そういうもの」と思ってみてください
ちなみに何人もの殺陣師が同じ事言うけど、そういうシーン入れてお約束の殺陣やらないと
とっとと決着がついちゃって、何人も殺さないと間が持たないんだってさ
で、逆に空振りばかりさせると、剣術が下手な印象になるとか

リアルを追求するほうがいいって人も多いんだろうけど派手な演出のほうがいいって人がやっぱり多いんじゃないかな?
時代劇なら黒澤風に一瞬で片付くよりも子連れ狼風に半日くらい戦ってるほうがおもしろいって人もいる。

グラディエーターのアクションは、殺陣自体には全然リアリティとか無いんだけど
見せ方が上手いなあと感じた。なんかプロレス的というか、盛り上げ方がよくできてるんだよね。

韓国は兵役があるから、特にガンアクションは本物。日本人役者のガンアクションの酷さときたら…。

ハリウッドを意識して作られたアクション映画って大抵、微妙な出来になるんだよな。
日本で言えば北村龍平の映画がそうだけど、どこかで見た事のあるようなアクションシーンが満載で思わず失笑してしまう。
結局、独自性を放棄してハリウッドの後追いをした所でハリウッドの劣化コピー映画しか出来ないんだよね。
2025/10/18(土) 14:37:15.43ID:tiwzqSuS0
藤田氏は必殺4でかなり監督と衝突したみたいだよ。あまりに妥協しない姿勢
にスタッフの中でも孤立したそうな。その後出来上がった作品を見て監督の実力を認
めたスタッフと忠臣蔵外伝を撮ったけど、藤田氏はしこりが残ったみたい。深作監督
作品は非現実的とか何とか言っていた記事を読んだ。
決め台詞をまぜっかえす演出が気にいらなかったのかも。

「必殺4」は必殺じゃねえ!しかし、ワンパターン化されてきた必殺シリーズに喝を入れた骨太の傑作

深作時代劇は、フツーの時代劇衣装グループvsキンキラキン衣装グループが基本
必ず白塗りでカブいた悪役が出てくるトコが面白いよね

「忠臣蔵外伝」はストーリーを楽しむ映画というより、音と映像の激流に酔う映画だと思う。
特に、赤穂浪士の宴とお梅の舞とお岩と宅悦の格闘という3つのシークエンスが絡み合う場面は「これぞ深作欣二!」って感じ
「里見八犬伝」、ラストの立ち回りシーンはいま観てもすごいと思う。(ストーリーはちょっと・・。)

忠臣蔵外伝は、当初、仲村トオルでクランクインしたのだが、
たったの1日で降板した(させた?)
仲村が時代劇の芝居が出来ないっていうのが理由

「柳生一族の陰謀」の最後の錦ニィのセリフは、歌舞伎のセリフ熊谷陣屋
「柳生一族」は「新しい時代劇を作りたい」という深作のこだわりと
時代劇の基本を重んじる萬屋のこだわりがぶつかり合って生まれた傑作だと思うが、
「赤穂城」は萬屋の”正統派”に対するこだわりが強すぎて、可もなく不可もない普通の映画になってしまった
2025/10/18(土) 16:15:30.55ID:tiwzqSuS0
蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義
日本で唯一、ヌーベル・バーグの作品と呼べるものは中島貞夫監督の『893愚連隊』(1966)です。まさにあれはヌーベル・バーグの何かを体現していて素晴らしい作品でした。
弱冠30歳ぐらいの作品で、思いのままに撮っている。京都の町が本当に魅力的に映っています。駅前のタクシーに乗るところなど、あの画面はまさにヌーベル・バーグです。
それから、渡瀬恒彦が出ている『狂った野獣』(1976)もいいのですが、ヌーベル・バーグとは異なります。また、芸術的な映画を製作・配給したATG作品の『鉄砲玉の美学』(1973)
は残念ながらそれほどでもない。したがって結局、日本で本当にヌーベル・バーグに対応する作品と言えるのは、『893愚連隊』だけでしょう。

新しい映画作家が出現する時、あるいは新しい映画的な運動が起こる時には、必ず優れたキャメラマンとの共同作戦がその背後にあります。例えば松竹ヌーベル・バーグの場合、大島渚さんのチームには川又昂さんがおられました。
それから、『ろくでなし」(1960)はじめ吉田喜重監督による作品のほとんどは、成島東一郎さんが撮影しておられました。ごく普通に映画を見ている方々にも、撮影監督のお仕事にはぜひとも注目していただきたいと思います。
映画における画面というものは、物語を超えて、ショットそれ自体のすごさというものが備わっているからです。

60年代から80年代にかけてアメリカが自らキャメラマンを創造できなかったということが、わたくしはハリウッドの無視しえない欠陥だったと思っています。プロデューサー・システムの中で、誰にキャメラを回させるかということに対する、
プロデューサーたちの認識があまりにも甘かったと思う。だから結局、ヴィットリオ・ストラーロを連れてくるといったことしかできなかったのです。この間、フランスからもイタリアからも何人もの優れたキャメラマンたちが海を渡り、
従来のハリウッド映画になかった画面の透明性のようなものを表現していたことも、やはり見ておかなければなりません。
2025/10/18(土) 16:20:05.31ID:tiwzqSuS0
アトラクションなどで映像を上映すれば、それはもう見世物ということになりますが、ある一定の時間を拘束して一つの物語を画面に映すという劇場での上映形態は、
本来スペクタクルではありません。映画はスペクタクルではないということは、すでにフランスで60年代ぐらいにいわれており、別に新しい考え方ではありません。
要するに、映画は、スペクタクルとして見ないからこそ得られる喜びが約束されているということなのです。

映画はスペクタクルではないということですから、結局のところ、物語があるかないかが大きな分かれ目になってきます。そして、その物語はいまだに情性体として続いているということです。
ここで考えてみると、物語がある娯楽というのは、小説と映画しかありません。
もちろん舞台芸術としての演劇というのもありますが、舞台を見るというのは同じ空間を占有するわけで、それはどこかで見世物になる。
ところが、映画というのはそれとは違ったかたちで物語を表現する。ですから、物語のない映画というのは存在せず、やはり人々は物語を求めているのです。

物語は不可欠ですが、物語だけを表現してみせるのであれば、それは本当に見世物になってしまいます。ですから、それ以外のところに映画の面白さというものがあることも間違いない事実です。
その面白さの一つは、「細部が見せる一種の色気」というべきものだと思います。色気といってしまうとふとセクシャルなものを感じさせますが、そうではなく、
存在しているものの影が、描かれているもの以上の何かを見ているものに語りかけるということが重要なのです

映画を見ている時に大事なことは、物語をたどることではなく、そのつど被写体がどのようなキャメラに収まっているかを確かめることなのです
2025/10/18(土) 16:21:56.37ID:tiwzqSuS0
今やアメリカ映画はほとんどディズニーに占拠されてしまったようなかたちになってしまいました。
あらゆるものにディズニーが入り込んでいて、こんな嫌な時代はありません。ピクサーさえもディズニーに行ってしまいました。そうすると、ある単調さが支配し始めます。
どんな風に撮ったって、『スター・ウォーズ』が面白くなることはないはずなのですから。
なぜわたくしがディズニーが嫌いかというと、圧倒的に画面の色気がないからです。ピクサーの初期の成功作である『トイ・ストーリー』(1995)
などは非常に面白かったのですが、そういうちょっと変わったことをしようとする新しい人も出てこなくなった
2025/10/18(土) 20:58:45.53ID:tiwzqSuS0
編集やキャメラのキレという意味なら、すでに89年の「その男、凶暴につき」の北野武の
方が鋭かったと思う。やがては、武もパターンが読めてきて飽きたけど。
チープというか、キレが無いからね。旧作の「資金源強奪」「暴走パニック 大激突」の方が面白い、というのはまずい。
ハリウッドのキレのいいアクション描写を見慣れた観客にすれば「いったい、こいつらは今ごろ、何をやっているんだ?」感が強かった。
ハリは物量だけじゃない、やはり編集などに工夫がある
かつての「資金源強奪」「新仁義なき戦い 組長の首」「同 組長最後の日」、
中島の「狂った野獣」「実録外伝 大阪電撃作戦」、TVの「Gメン75」や「特捜最前線」、、、
が好きだからこそイヤなんだよ。仕掛けは中途半端に大きくなったのにキレが無いんだ。
ハリウッドが物量だけ、と思ったら大間違いだよ(例えばレニー・ハーリンやジョン・マクティアナンを観るとそう言いたくなるだろうが)
例えばマイケル・マンなんか緩急にキレがあるし緊張感もある。「ヒート」の冒頭の輸送車襲撃シーンを観て、「いつギラ」を思い出して悲しくなったんだよな・・・。

木村が元警官である必然性が無いなど、この映画は「?」な箇所が多くて・・・。
不明な部分は、深作本を読めば納得できるのだろうけど、大の大人が、みんなで犯
罪者や殺し屋ごっこをして遊んでいるようにしか見えないのはマズイ。
何より登場人物たちの相克を描いて「恐喝こそわが人生」(68)の頃のようなシャープさが
もう無いのが辛い。みんなちっとも切実に見えない、
白昼の無頼漢や資金源強奪の焼き直しなのに、やっぱ役者の差だと思う
年長者に反抗しつつ依存する体質のショーケン。自分が頼られる年齢になるとどうしていいかわからないんだろう。
深作より落ちると思っていたフランケンハイマーやフリードキンあたりの方がマシに思えた。
不調時のペキンパー的な凄みもないし、野暮さで押すジョン・ウーに勢いではかなわない

多岐川裕美がチンピラ相手に昔は番張ってました風なポーズを取るシーンとか、現金強奪の前に木村がいきり立って ショーケンからヘルメット
脱がされて「あ〜〜すっきりした」って言うシーンとか 深作のセンスの古さを感じさせるね。 
でも、深作を越えるようなアクションを撮れる監督って未だに現れていない。

ショーケンが使ってたナイフはドイツのヒューバーツ社製
折り畳んでも、刃先がはみ出るところが良いですね。

強盗のあと一八が独り占めしようとまず蓮司撃つ。
それで千葉とショーケンが驚いて顔見合わせたあと、撃たれまいと散って逃げるシーンは最高だと思う

信頼と裏切りがテーマだったり、人物設定などを見るに、ジャン=ピエール・メルヴィルも下敷きにしているように感じる
2025/10/18(土) 22:48:02.82ID:tiwzqSuS0
中島貞夫さんって、役者さんのいろんな部分を引き出してくれるような演出があって好きだな。
深作さんってその辺は、その役者のもっているもので表に出てる部分しか使わないイメージがある。

深作も破綻してるが、中島は深作以上に破綻しているところが魅力だと思う。
お祭り的にいろいろなものが盛り込まれている世界の魅力です。
マキノでも深作でもなく森崎東に近いような気がします。
「首領を獲った男」とか「激動の1750日」あたりは停滞してたけど
その後撮った「新・極妻」とか「武闘派」とかは若返ったかのように面白かった

深作の映画は今ひとつのものもそれなりに観れるが、中島の駄作は「やる気あるのか」と
言いたくなるような観るに耐えないものが多い
カメラが動かないなど、撮影・照明の労力を惜しんだかのような映画になってしまうのは、単純
に京撮のスタッフの動きが悪くなっているせいかな? とも思うんだけど・・・。
こうした薄さは、80年代以降の邦画に常に感じることで、仮に撮影所の衰退が原因だとすると気の毒ですね。
TVでも自分の趣味を通していた工藤さんは偉かったなあ。

80年代以降の深作の映画は、撮影所システムが崩壊したなかで
何ができるのか、何を撮るべきなのか、自問自答しつつ悪戦苦闘している
過程がみてとれる。で、ようやくたどり着いた果てが「バトル・ロワイアル」で
あったという道筋は感動的であったりするわけだけど。
中島はそこまで方法論的に意識的ではなく、よくもわるくも撮影所システムのなかの
プログラムピクチャー出身の職人としての位置に、本人も周囲も安住していたんだろう。
流されるままに、与えられる企画をこなしていっただけのようにみえる。
2025/10/18(土) 23:06:55.44ID:tiwzqSuS0
中島貞夫の本
東映以外の俳優の悪口ばかり書いてるな
三船敏郎佐分利信を筆頭に他多数 酷評というより、ただの悪口

中島監督は、日比谷高校、東大と根が生粋のエリートだから
泥まみれのチンピラを撮ってもどこか表面的で薄っぺらい印象が強いんだよなあ。
監督の作品は、エリート学生が髪を染め、サングラスかけてチンピラ演じてるようしにしか見えないんだよ・・

よく深作が女を描くが下手とか言われるが、中島のがはるかに下手というか、女は脚本どおりに台詞喋ってりゃいいレベルではないか?
まあ東映の監督は昔からその辺は下手とは言われますよね。
というよりかかく必要がないんだよなぁ
男が散っていく話だからなぁ女はどうしても端によりがちなんだよね

日本のアクションのカーチェイスって見てて恥ずかしくなるようなものばかりだけど
大阪電撃作戦は少しよかった。
太陽を盗んだ男のカーチェイスなんて作品の格を下げているものな。

作も役者を活き活きさせるのは得意でも
組長の首や組長最後の日のカーチェイスとなると、もう少しなんとかならんかと
イライラさせられた。暴走パニック大激突なんかマンガ以下。

『人間の証明』のニューヨークでのカーチェイスシーンも邦画では優れているものだと思うな。
あれは現地のスタッフの力なのかな

琵琶湖の周りとか、造成地で派手なカーアクションをやってもそれだけなんだよ。
誰もが車で通った事があるような有名な通りや交差点でやれば皆が関心を持ってくれると思うんだけれどな。
伊丹さんの「スーパーの女」や「マルタイの女」は結構頑張っていたと思う。
西村潔監督の『ヘアピンサーカス』とか。
2025/10/19(日) 17:32:24.91ID:R2gKLPQ+0
初期の作品は寅さん自体からにじみ出る寅さんの魅力があったけど、後
期の作品は寅さんとからむ人たちによって寅さんをいい人にみせようとうシナリオと演出のあざとさを感じる。
渥美さんが精気も元気も茶目っ気もなくなって、「寅さん」になろうと
するのが痛々しい後期になるほど、寅さんがもてるというのもどうなんでしょう。
寅さんシリーズは大好きだけど、あたしがみるのは25作目までね。
「かもめ歌」あたりから山田洋次さんも思想も入り始めたし。

初期の頃は寅の町内の鼻つまみ者的部分もきちんと描いていて楽しめた。
中盤以降は映画の世間的高感度が劇中にも反映されているかのように、
登場人物たちにも最初から好感をもたれているかのように描かれているのがつまらない。

1〜8   寅さんの失恋とフーテンであることの葛藤
9〜19  寅さんよりも、やや不幸なマドンナや自立するマドンナたち 
      の人生模様がメイン                 
20〜33 作者が若い世代におもねる。それとともに複雑な現代社会
      との共生も描くようになる。
33〜48 ファミリーに世代交代の波。そして、社会はより複雑に。
      しかし、そこには「人生の達人」となった寅さんがいた。
2025/10/19(日) 23:32:32.48ID:R2gKLPQ+0
大映の女賭博師シリーズはどれもつまらなかったけど
真似て作ったのが東映の非ボタン博徒シリーズ。
真似た方が大ヒット
ヤクザ映画は圧倒的に東映がうまいやね

女と爆死シリーズ 女賭博師

江波杏子
范文雀とかと同じ系統の顔だよね。楳図かずおの描く蛇女系というか。

和製ソフイアローレンって感じの顔立ち
唇が薄くて口が大きい こういう人はクールな性格らしい

神代辰巳追悼号で佐治乾が書いていたが、神代辰巳がある2ドラで主演女優のことを
「内面から滲み出るものが何もない駄目女優」とブツブツ言っていたとか。
これは江波さんのことのようだ。作品は85年放送の「奥飛騨二重心中」と思われる
俳優に動きと感情を自在につけていく神代演出には江波さんはついてこれなかったみたいだな

津軽じょんがら節はキネ旬評論家のゴリ押しの印象が強くてなぁ……
2025/10/20(月) 15:52:00.35ID:0xq6M4lE0
簡単に言うと連ドラ一本でスポンサーからスポンサー料を例えば二千万円とか貰い、
石原プロが一千万円でドラマを作ってテレビ局に収めてその差額で儲けてとか。
元々は映画制作会社だから、タレントの斡旋のエージェントではなくプロダクション。
ドラマが視聴率が高ければ放送打ち切りもないし、スポンサー料も高く取れて
つまり連ドラをやれば安全に日銭が入るし、大勢の役者や社員を抱えているから、映画制作の博打は打てずに終わったんだな

日テレの太陽にほえろは日テレ制作で石原プロには出演料だけ入って、テレ朝の大都会とかが石原プロの制作

40年前の当時の金額でマイナス7億円の借金だったのを
大都会と西部警察で資産プラス70億円にした企業。
えげつなくロケに映る企業とタイアップを始めたコマサ商法

石原プロは脱電通、脱広告代理店をモットーに掲げて成長した武骨な会社なのに
裕次郎の死後はあっさりと親電通、親広告代理店に方向転換して全く魅力が消えてしまった

会社経営は健全化したが、本業のはずの映画制作が出来ない体制になってしまった
映画制作はかなりのバクチだから、たけしや津川雅彦のように自腹を切らず、スポンサーや他の会社に制作費をもたせて、
監督料や出演料だけ貰うのが無難なんだよね
そのためにも健さんのように子分も作らず個人でいた方がいい
三船敏郎も自分のプロダクションとスタジオの維持のために黒澤映画に出る余裕を失ったしな
2025/10/21(火) 12:36:05.87ID:jidWC9Eq0
@朝鮮の刀は直刀で両刃、日本の刀は湾刀という反りのある片刃なので、直刀は突きになり、日本刀は斬ることを目的にしている。(李氏朝鮮は秀吉の朝鮮出兵で日本刀の威力を知り、真似して倭刀を造るが、それまで直刀しかなかった)
Aそのため朝鮮と日本は戦うスタイルが全然違うので日本の剣道とつながるはずがない。日本の剣道は斬り方を教えている。
B剣術の稽古は木刀(湾刀形)を使っていたが、非常に危険なため、安土桃山時代に新陰流で袋竹刀が発明された。(現在の四つ割り竹刀は大石神影流の大石進が考案)
Cそして江戸時代1713年頃に直心影流の長沼国郷が防具を開発し、剣道で行う打ち込み稽古法を確立した。
2025/10/22(水) 15:45:01.79ID:g6XirYNQ0
社長シリーズ松林宗恵の弟分の
瀬川昌治はハスミが誉めたこともあり、リュミエール系のシネフィルが持ち上げる

ウェットな喜劇が多い邦画のなかで社長シリーズのような都会的でスマートな喜劇はめずらしい。
高度成長期特有のあかるさもいい。
ただ、シリーズの平均点が高い反面、結果的にこれといった代表作が生まれなかった
社長シリーズが終わる頃に寅さんが始まって

社長シリーズ藤岡琢也やら黒沢年男やら関口宏なんかが出てきた頃には完全に終わってる
まあ、三木のり平が降りた時点で終わってるけど

「木皿泉のシナリオ講座」◯さいきん感じること
木皿さん「面白いものを作ることは難しくなっている」
映画「社長シリーズ」とか、100均のヘンなものとか、おじさんが追い詰められて作ったデザインとか、
そういう無茶苦茶なものの力が薄くなっている気がする

のり平の本を読んだんだが、社長ものや駅前シリーズ、あんなくだらないものは
ないと言っている。だいだいあれで売れたんでしょ。晩年演出家になってか何様だと思ってるんだ。
そんなにくだらないと思っているんだったら出なければいい。
自分は新劇出だから森繁とは違うとも言っている

映画関係者が自分の関わった作品を意外と低く観ている場合があるのはよくあることだよ

社長シリーズと同じ面白さを期待して駅前シリーズを見ると結構ガッカリするかも。
単純明快、ひたすら明るくハイテンポにドタバタを連発する社長シリーズに対して
当時の暗い世相も描きながら比較的スローなストーリー展開で
かなり古典的な古〜〜い笑い(と呼べるかどうかも微妙な)をポツンポツンと織り交ぜる駅前

駅前探検もいつも通りの駄作
駅前は大半が駄作だけどその味がまたいい
2025/10/22(水) 16:13:55.39ID:g6XirYNQ0
松林宗恵監督が選ぶシリーズ・マイベスト3は
道中記・外遊記・千一夜

森繁は社長シリーズみたいな軽妙でモダンなコメディこなせる役者なんか類をみない。
和製ジャック・レモンと言えそうだけど、ジャック・レモンより可笑しい。
「夫婦善哉」か「屋根の上の」以降か、名優路線になって詰まらなくなった

タモリは絶対に影響を受けてると思う
タモリは森繁から直接「どんなバカ演ってもいい だがヨットなど高尚な趣味も持ちなさい」と言われている

社長は東宝本体の作品で駅前は子会社の作品だから格は違う
そのかわり駅前は他社専属の俳優を使いやすかった

ずーっとカラッとしたノリで湿っぽい場面がないのがエラい
駅前も湿っぽいのは初期4作だけだけどな。

駅前は主役がいないんだよ。森繁と伴淳のWヘッダー
致命的なのは、Wヘッダーなのに森繁と伴淳のカラミが面白くないこと
伴淳が入ると森繁の泥臭い部分が際立つ印象
同じようなコメディリリーフなんだけど土の匂いのする伴淳と粋なのり平の違い

社長シリーズって、いつも黒澤成瀬稲垣喜八その他三船主演作と
二本立てで強制的に見せられてたのに、ヒット作と言えるのかなぁ?
このプログラムで社長シリーズ目当てに行ってた客がどれだけいるんだ?
2025/10/22(水) 16:26:20.43ID:g6XirYNQ0
まあ東宝はスターの売り出しなんかもヘタだった会社ですからね。よく言えば上品、悪く言えばヌルイんだよな。岡本喜八も他社だったらエース監督になれた可能性も高い。
例えばシリーズものにしても他の映画会社だと人気のあるうちに2ヶ月に1本くらいの割合で作って、人気が落ちてきたら似たようなタイプの別のシリーズを立ち上げるってやり方だった。
小林旭の「渡り鳥シリーズ」なんて2年足らずの間に6、7本作ってるし、高倉健だって「日本侠客伝シリーズ」「昭和残侠伝シリーズ」とかのほとんど同じような映画を短期間で大量に作ってる。
ところが東宝のシリーズものは1スターにつき1シリーズで年に2本くらいのペースを一貫して守りつづける。だから「若大将シリーズ」なんかも10年以上かけて16、7本しか作ってない。
日活やとくに東映の粗製濫造が日本映画の衰退を招いたのは事実だが、といって東宝のように濫造しない会社の作品が日活や東映の作品より劣る事が多かったのも事実で、一概にはどちらが悪かったとは言えないのが難しいところ。

日活の例にしても東映の例にしても、それはシリーズを粗製濫造していたというよりは、小林旭や高倉健を使い回していたというべきだな。スター
が一人か二人しかいないから、同工異曲の物を作り続けるしかなかっただけで、スターの売り出しがうまかったわけじゃない。
東宝は別のスターによる安定したシリーズをいくつもかかえていたから、
粗製濫造なんかする必要がなかったんだよ。というより、一年に5本も6本も同じシリーズを作ったら、他のシリーズが入るすきがなくなるくらい
ドル箱シリーズをかかえていたからね。
たとえば、1968年の場合、社長シリーズが「社長繁盛記」「続社長繁盛記 」
駅前シリーズが「駅前開運」「駅前火山」
若大将シリーズが「リオの若大将」
クレージー物が「クレージーメキシコ大作戦」「日本一の裏切り男」「空想天国」
ドリフ物が「盗って盗って盗りまくれ」「冒険冒険また冒険」
怪獣物が「怪獣総進撃」
これに「黄金の眼」「狙撃」といったアクション系、「めぐりあい」「年ごろ」
「兄貴の恋人」といったアイドル系なんかが看板で売れるわけだ。
スターの売り出しも、この年は酒井和歌子を上記作品の大半に登場させて人気を決定的な物にしてるから決して下手というわけではないと思うよ。

時代劇&仁侠映画の東映、喜劇の松竹、アクションの日活ってイメージがあるけど、東宝はそういうイメージでひとくくりできないね。
東宝は藤本真澄・田中友幸の2大プロデューサーが君臨したのが大きい。
喜劇・文芸作の藤本、活劇・時代劇・特撮の田中と専門分野を分担して撮らせていたからさまざまな客層を動員できた。
外部企業(ナベプロ)や海外資本と積極的に提携を始めたのも東宝が最初だし、そういう面では非常に巧い戦略だったと思うよ。
2025/10/22(水) 20:18:02.52ID:g6XirYNQ0
フィルム=24コマ/秒に対し、ビデオ=60コマ/秒
(正確には2コマで1画面書き換わるから30コマ/秒ですが、
画面が逐一変化するという点では60コマと考えてもいいかと)ですよね。
コマ数からしても、映像記録媒体の情報量は、
フィルム<<<ビデオ
です。そして、視聴する側にとっては、
質の低い映像を目にするより、質の高い映像を目にする方が、本来、喜ばしい状況のはずなんですが…

照明の光をモロに拾っちゃうのがなー。
おでこテカテカさせながらの室内の悪巧みシーンはホント、コントみたい。

「水戸黄門」のスタッフは撮影部も照明部もフィルム育ちだから
もともとVTRには慣れてない。その上、スタジオ照明の方法論がフィルムのときと同じだから、あんなテカテカした画面になっちゃうわけ。
大河とか連ドラの技術スタッフはVに対する蓄積された技術があるから、あんな出来の映像にはなんない。

フィルムであっても、欧米に比べると日本の照明はペカペカなんですよね。
それがビデオになってからは、ペカペカな上にテラテラでもう観てられない。
ビデオでも、照明設計をきちんとやれば、さほど違和感は無い。

日本の照明のなにが問題といって、まず、光源のポジションがおかしい。
そんなところから明かりはこないだろう、という位置で平気で光らせる。
だから、陰影が無い。影のグラデーションが乏しいんですよ。違う言い方をすれば、影の中に見える光が無い。

そして、明度が高すぎる。
大昔の白塗り大スターを写すわけじゃないんだから、
役者の顔に影があって当然なのに、無理に明度を上げて影をなくそうとする。
他の方のレスに「ビデオになっても、フィルムと同じ感覚で照明やってる」
というのがありましたが、その感覚は、フィルムはフィルムでも、
光量も乏しく、フィルムの感度も低かった白黒映画の感覚なのですよ。
それをそのまんま、ビデオにまで引っ張ってるんだから、そりゃおかしいはずです。
それから異様なほどの彩度の高さ。これまた、大スター時代劇の名残。
豪華絢爛な衣装の華やかさを見せ付けるための照明のまんま。
明度を上げて、光量を上げて、絞りに絞って、被写界深度を深めて、
スターを見せよう、セットを見せよう、衣装を見せようってやると、日本の照明になる。
まだ、フィルムの時代であれば、結果としてフィルムが余分な光を吸収して調節していましたが、
ビデオでは、私の死ぬほど嫌いなペカペカテラテラになるんです。
で、これは照明スタッフだけの問題ではありません。
一番いけないのは監督です。照明スタッフは、監督からの指示が無い限り、自分たちの感覚でやります。
監督からの指示があれば、監督の指示に沿うべく変更をかけます。つまり、照明をないがしろにする監督が多いから、こうなるんですよ。
2025/10/22(水) 21:16:26.04ID:g6XirYNQ0
フィルムでパンフォーカス(遠景にも近景にもピントが合う)をやろうとすると、
レンズを思い切り絞ってカツラが焼ける位強烈なライトを当てなきゃならない。
ビデオだと特性上そんな必要ない。
あ、上2行をやったのは黒澤ってのは知ってるよね?だから彼の白黒はコントラスト効いてて
ダイナミックな映像。 ところがカラーフィルムでもそれやっちゃって、影武者に乱なんかは
舞台様式そのまんま。ビデオ風味ってやつ。
リアリズムどこへいったのやら、とは大映美術監督内藤昭の弁。 
東映ももうだった。<スターの顔を良く見せるため。
 大映は全く違った作風。リアリズム最優先。ススキの影まで墨汁で書いたし。
スターも必要ならばシルエットで映すし。
だから生生しいし、どこか幻想的で美しいよね

ビデオは深度が深いものですから、うつしたくないところも綺麗にピントが合ってしまう

アメリカは世界的なセールスを考えて制作してるので世界的に幾つもの方式に分かれているビデオだと方式
の変換に手間とコストがかかるから、フィルムを使うのだ、と聞いたこたがあります

今はいったんデジタルデータに落としてしまえばどの方式に変換するのも簡単ですよ。

森田芳光って監督が言ってたけど、フィルム代なんとかするために
プロデューサーがスポンサー集めですごい苦労したとさ
予算のない日本じゃ仕方ないんだよ。
ハリウッドじゃカット編で、フィルム9割捨てるけど、日本はケチって、それでも2/3、撮影量の2/3捨ててます。
監督も安易に「カット!カットォー!」と言えない
2025/10/22(水) 21:33:22.83ID:g6XirYNQ0
Gメン’75や太陽にほえろ!は、1話10日は掛けていたらしい。だから、放映に間に
合わせるために、場合によっては並行撮影のB班を立てていた。必殺が、いつも放映ギリギリの仕上がりだったのもよく知られている。
それも、高視聴率番組で、かつ予算を握っている局P、スケジュールを空けてくれる出演スターに理解があるからこそ、できること。
高視聴率でも、例えば大川橋蔵の銭形平次は、1話あたり4日しかスケジュールがなかった
という。橋蔵が、1年のうち何ヶ月かは、舞台に出るからである。
今でも、「はぐれ刑事純情派」は、4日撮り。藤田まこっちゃんが忙し過ぎるから。
年々、予算は下げられ、理解のある局Pは減り、スターは忙しくなり、という現状では、V録りになっていかざるを得ない

俳優をやってるがフィルムの方が撮影が楽でよろしい。
というのはVTRだと1カット撮る度にいちいち巻き戻してチェックするのがうざいんだな。 神経質な監督だとホントにイライラするよ。
フィルム撮りだとその場でチェックは出来ないからチームワークがとれたスタッフだとサクサク撮影が進むから早く家に帰れる。
スタジオでのVTR収録だと1シーンを長回しで撮るからスタッフは楽だが俳優はセリフや芝居の段取りを覚えるのがだるいんだな。(藁)
フィルム撮影だと後日アフレコしなきゃなんないから、どっちにしろだるいんだが、、、

きみはピンク映画の俳優かな。
フィルム用カメラもビジコンといって、カメラからケーブル引っぱってモニターでチェックできるんだよ。
同録もないようだし。
2025/10/22(水) 22:44:06.64ID:g6XirYNQ0
お金だけの問題じゃないよ。何よりも大きいのはスケジュールの問題。
フィルム撮影だと現像してテレシネかけてからようやく編集に入るんだけど、その間に2日かかる。
VTRなら撮影が終わったら速攻で編集に入ることができる。
今のテレビドラマは放送3日前まで撮影してて次の日に編集、次の日にMAとVTR編集して放送当日に納品
なんてものもあるからね。そういう場合はフィルムで撮影してたら絶対に放送に間に合わない。
あとフィルムだと現場で撮った映像がその場で確認できないというデメリットもある。
また複数台のカメラを同時に回して撮影するなんていう荒業も当然予算上できない。

深作は別に暴力反対を声高に謳っている訳ではないだろ。
戦後の一時期、必要悪とされた暴力が、社会の復興と共に排除の対象に
なる、偽政者の都合で善にもなれば悪にもなるという矛盾に怒りの矛先
を向けて描いているのであり、暴力に訴えた後の悲惨さもちゃんと描いている点で、たけしの映画とは全く違う。
仁義なき戦いでは抗争のバックボーンに、原爆投下、朝鮮戦争勃発、米ソ
の冷戦といった国家単位の暴力が横たわっており、戦死者の指導者が責任
を取らないという点で、国家そのものが巨大な暴力団である事を暗示してもいる。
2025/10/23(木) 11:33:45.90ID:GttW+GMu0
。ヨーロッパなどのキリスト教の国では、神の下では皆が平等だという概念があるが、日本では天皇陛下の下で皆が平等だという概念があるだろう。
中国人は平等の概念がない。日本人はある。これは天と地の違い。何故そうなったのか、日本の天皇制は大きな役割を果たしているだろう。
また、中国人には、古来から、土地が皇帝(今は共産党)のもので、個人の土地所有が不可能だ。その皇帝が変わる度に、全てはゼロになり、土地などの財産が没収されたりする。これで、中国人の財産権の概念が確立できない。
日本人にも、最終的に、土地が天皇陛下のものだというふうに、認識しているけど、しかし、この天皇制が2000年以上に変わらずに続いている。日本人には、統治者が変わる度に、
全てはゼロになり、土地などの財産が没収されたりすることもない。千年以上の企業もある。
日本人の財産権が天皇制により、保障されていると、理解していいだろう。
これではっきりしているのは、日本人は財産権の概念があり、中国人はない。
前にも、ポストしたが、財産権は、生存権の次に大事の権利だ。財産権が奪われたら、財産所有者の奴隷になる。中国人はいつも皇帝の奴隷で、日本人はそうではなく、それなりの自由がある

「政権が交替しても、武士達は古い書類をもって、新政権に所有権の更新を訴えた。」
2025/10/23(木) 13:15:03.67ID:GttW+GMu0
とむらい師たち
野坂昭如の原作を藤本義一が脚色、三隈研次が監督
1968年キネマ旬報ベストテン第44位

(勝新太郎)が「ごっつい事やってんな!入ってみよか」と霊柩車で侵入
万博開幕前の大阪の雰囲気を味わえる映画に仕上がっています。
彼の関心は、この20年間、弔われることのなかった者たちへと向かう。
機銃掃射を受けた兵士たち、空襲で焼かれた民間人たち、戦争で死んだ人達だ。(原作者が「火垂るの墓」の人と知れば、この流れ、合点がいくだろう)
だが、高度経済成長期を経て日本は「戦争」を、「死んだ人たち」を忘れようとしている。スポンサーも協力者も、今までとは違い、まるで得られない。
万博? それがどうした、こっちは葬博だ!

水爆がおちてなにもかもなくなってしまうというラスト
荒涼たる焼け跡で「これこそが葬博だ!」と叫んで、はしゃいで回る。
2025/10/23(木) 16:02:14.61ID:GttW+GMu0
三船敏郎が自分のプロダクションで「孫悟空」を三船主演で映画化する企画があった。
三蔵法師はドリュー・バリモア
猪八戒に相撲の高見山、沙悟浄にサミー・ディビスJr. をキャスティングしていたらしい。
三船が孫悟空に扮したテスト写真が残されている。

台本を自ら脚色。脚本を完成させると、手紙を書いてスティーブン・スピルバーグに協力を求めた。
当時62歳、孫悟空の扮装をした三船のテスト写真を見ながら
「無理があるんじゃないでしょうかね」と苦笑する子息の三船史郎

、美佳「父が映画を撮りたがっていた『孫悟空』のストーリーを、寝る時によく父から聞かせてもらいました。
でもいつも話してるうちに熱くなっちゃって、(孫悟空になりきって)棒を持って暴れはじめるんです(笑)」

ところで70年代に若山富三郎も西遊記の映画化企画を温めていた。孫悟空に若山、三蔵法師に坂東玉三郎、沙悟浄に仲代達矢、
猪八戒にこれも高見山をキャスティングしていたが、玉三郎が出演を断ったため流れ、
この企画が横滑りして堺正章の西遊記に繋がったと聞いている。
少し遅れて三船も西遊記の映画化を企画したわけだが、まあ原作に著作権があるわけではないので誰が作っても問題はないわけだ。
2025/10/24(金) 11:24:53.69ID:Tahbf90+0
山根成之は1976年の『さらば夏の光よ』とか1977年の『突然、嵐のように』で若い映画ファンに当時絶大な人気を誇った監督で、
日活ロマンポルノ系の神代辰巳とか藤田敏八とかが、関節の外れたような、手持ち、長廻しのルーズな映像作りの面白みを示して、
みんなあれがカッコいいんだと思い込んでいた時代に
、山根成之はもっと古典的な映画を撮りました。ゆえに、少し上の世代の観客の支持を集めたのではなかったか

後期必殺の演出を手がけた山根成之監督は、日活の鈴木清順監督の「影響」を受けているという。
自称「日本のヒッチコック」というだけあって、山根演出は技巧にこだわったものとなっている

愛と誠』より、鈴木清順監督の影響を感じさせる場面。誠が愛の傘を奪うと、背景が赤一色に変わる

「ダブル・クラッチ」とはスムースなシフティングのためにクラッチを「続けて踏む」ことを指す。
何をやっても中途半端という「「欠陥人間」の彰彦は、それを難しいことと感じている。
長続きしない青春の日々を山根監督は描き続けた。
2025/10/24(金) 11:24:53.68ID:Tahbf90+0
山根成之は1976年の『さらば夏の光よ』とか1977年の『突然、嵐のように』で若い映画ファンに当時絶大な人気を誇った監督で、
日活ロマンポルノ系の神代辰巳とか藤田敏八とかが、関節の外れたような、手持ち、長廻しのルーズな映像作りの面白みを示して、
みんなあれがカッコいいんだと思い込んでいた時代に
、山根成之はもっと古典的な映画を撮りました。ゆえに、少し上の世代の観客の支持を集めたのではなかったか

後期必殺の演出を手がけた山根成之監督は、日活の鈴木清順監督の「影響」を受けているという。
自称「日本のヒッチコック」というだけあって、山根演出は技巧にこだわったものとなっている

愛と誠』より、鈴木清順監督の影響を感じさせる場面。誠が愛の傘を奪うと、背景が赤一色に変わる

「ダブル・クラッチ」とはスムースなシフティングのためにクラッチを「続けて踏む」ことを指す。
何をやっても中途半端という「「欠陥人間」の彰彦は、それを難しいことと感じている。
長続きしない青春の日々を山根監督は描き続けた。
2025/10/26(日) 22:02:21.92ID:SkXJdWAr0
製作費折半方式の弊害が、ソフト化の際に出てきてしまってるってことだね。
ATGと組んだ相手側の会社が解散してしまっていたり、その代表者と連絡が取れなくなっていたり、
そういう問題がひとつでもあると、ソフト化ができない。

「アート系」ミニチェーンなんか実際には成功した試しが無い。
ATGの頃はビデオ化収入に頼れるような時代ではまだ無かったし、アルゴは
逆にTV・ビデオ収入をアテにし過ぎて作品に製作費を掛け過ぎていた。
どうせ佐々木史朗はバックに付いた日本テレビとサントリーからカネなんか幾ら
でも引っ張れるとタカを括って居たんだろう。でもちょうどバブルも崩壊しそこまで甘くなかった

さらば夏の光」(1968)は吉田喜重監督
長谷川龍生と山田正弘という二人の詩人によって書かれた脚本によるところが大きく、
まず冒頭から気づくのは、台詞がすべて「現代詩」の朗読のように、非現実的且つ幻想的であることだ
本作の脚本が、通常の「言語的コミュニケーション」ではなく、観念的で直勘的な「共感・共鳴」を目指していることに、
早いうちに気づくことがポイントである。改めて、狭義の「映画」としてではなく、
映像と詩と音楽の「総合芸術作品」として鑑賞すると、その試みの大胆さと崇高さに驚かされるだろう。
文学者や芸術家たちは、戦時中に抑圧されていた創作エネルギーを爆発させ、積極的に古いものを解体し、
新しいものへと変容させていったが、その時代こそ、日本での前衛芸術の全盛期だろう
喜重監督が描く欧州の古城や街並、木々や花の映像美は圧巻である。
たった一つの汚点として腹立たしいのは、森英恵がデザインした衣装がつまらなすぎ
洒脱でモダンなファム・ファタールという設定なのに、特に序盤では垢抜けない凡庸な服装をあてがわれていて、岡田茉莉子が可哀想になるほどである
2025/10/26(日) 23:07:32.48ID:SkXJdWAr0
NCPの岡田裕もの・ようなものにはぶっとんだと語っていた
自主映画出身なのに映画作りの方法論を熟知している、その上で
自分なりの感覚で現代をとらえ新しい文法を組み立て直そうとしていると評してたよ
つまり今までの日本映画にはない新しさだったと

秋吉以外(映画は)素人並の役者であのダラケないテンポは凄い

「の・ようなもの」の秋吉が評価されたポイントは
あっけらかんとアルバイト感覚で風俗嬢やってて新聞や洋書まで読んでる人間像が新しかったんだよ
それまでは借金背負って男に騙され続けて落ちた先が風俗だったみたいなのが典型だったからね

ゴジが大森一樹に言った名言で、「軽いやつが出てきたと思ってたら
お前よりさらに軽い人間(森田)が現れた」というのもがある
2025/10/26(日) 23:29:34.56ID:SkXJdWAr0
吉田喜重の『戒厳令』もプロデューサーやった上野昂志によれば主役の三國連太郎以外はほぼノーギャラだと
美術も内藤昭のツテで元大映京都のスタッフに頼ったりと、もうとにかく大変で二度とATG映画のプロデューサーなんかやりたくないと愚痴ってた

ATGって、1979年以前以後でハッキリと分かれるんだよ。
79年以前は葛井欣士郎、以後は佐々木史朗がプロデューサー。
前期は左翼色が強くて、大手映画会社からドロップアウトした監督や記録映画出身監督が多かった。
後期は、自主映画や成人映画の出身監督が多く、一般受けする作品がほとんどになった。
(自主映画や成人映画の監督に一般映画進出の機会を与えるという意味合いがあった)
ただ、後期になってから本来のATG色が薄れてしまった事は確か。
大林の『転校生』は松竹、伊丹の『お葬式』は東宝と、メジャー館で公開されるATG映画まで出てきてしまって、
「ATGである意味がないじゃん」という声が出て、有り難味がなくなって、それが崩壊の鼻緒になった。
あと、ちょうど同じタイミングで、レンタルビデオのブームが起こって、
様々な企業が映画産業に参入してきたり、弱小プロダクションにまで投資する企業が現れたりして、
若手監督がATG以外の場でも活躍できるようになった事も大きい。
中村幻児の『ウィークエンド・シャッフル』、和泉聖治の『沙耶のいる透視図』などは、以前だったらATGでなくては製作公開できなかっただろう。

森田芳光はクセの強い作家性がありつつ、時代時代に合わせて柔軟に適応できるけど
大森一樹は一定の時代が終わると途端にセンスが古くなる感じ
筒美京平と都倉俊一の違いみたいな

ATGの監督はアラン・レネ好きの人が多い

ATGは既に「歴史」になってしまっている。では、「現在」はどこにあるのか?
PFFやイメージフォーラム・フェスティバルは、この先もずっとyoutubeやyoutuberを無視し続けるんだろうか?
俺自身は「無視してもかまわない」とは思っているけど、しかしやはり「なぜ無視するのか」という議論は必要なのではないだろうか?

ケイコ目を澄ましてだけでも見てみろ
まだatgみたいな映画を日本作れるんだって嬉しくなる
2025/10/26(日) 23:48:16.15ID:SkXJdWAr0
時代と寝過ぎた作品のノリのまま、いつまでもやってる方が辛くない?
エヴァとかラブ&ポップの頃なら時代の空気にマッチしてたけど、
90年代中盤で真空パックしたまま今を生きてる庵野秀明とかキツイわ

鈴木清順は日活をクビになって映画が撮れなかった頃に、ならばATGで撮ってみてはどうかと誘われたが、「そんな低予算で映画なんて作れない」と断ってる。中島貞夫がATGで撮ってるのも、
少しは儲かる映画が欲しいというATG側の要望で、中島本人は自由に撮れるからとか自分から望んでATG映画は撮ってないと言っている(人間関係の都合上引き受けざるを得なかったんだそうだ)。

深作欣二は「映画はすべて『商業映画』でなくてはならない」と考えていて、だからPFFや学生映画コンクールの審査員を依頼されてもすべて断っていたとか。
それも、ひとつの見識だろう。
(多分、山田洋次も同じように考えてるんじゃないかな。
「撮影所育ち」である事に誇りを抱いてる者は、ATGや自主映画を白眼視するんだろう)

ATGの映画が本当に良質か・・・議論の余地がわかれるところだが、ATGじたいは意欲的な監督を疲労させただけに終わった。
実は東宝系列で(意外と知らない人が多い)、どんなに収益をあげても、
直接収入の4分の1しか製作側に還元されないメジャー・システムをしっかり受け継いでいて、一部を除きみんな損した
名物プロデューサー・葛井欣士郎らの業績を無視はできないが、有名監督すら、撮りたいものをこうした場で、自腹で低予算で撮らざるをえない
2025/10/27(月) 00:54:04.08ID:syOarPVh0
「遠雷」。いかにも八〇年代な映画。
当時はあっけらかんSEXが新鮮だったのかもだけど、今の時代から見ると、別に、ねえ。
七〇年代までは“オシャレ”で消費できるけど、八〇年代は中途半端な古さばかり鼻につく

どの世代の人達も若くて感受性が強い頃夢中になったもの(映画
、音楽、ファッション他)を、大人になりモノの見方が変わって
くると、若い頃夢中になったモノが陳腐なものや青臭いモノに感じる事があると思う。
でもそれは決して恥ずかしい事ではなく誰もが経験する事だと思う。
逆にいつまで経っても若い頃と同じままという方がチョットね..。

所詮はATGも東宝資本だしね
独立プロは結局成功しないわけで、それほど損をしないように配給元は出来ている

創造社の経営基盤(と大島渚本人の生活)を支えたのが、大島瑛子さんや山口卓治さんが仕切っていた所属俳優
(渡辺文雄以下大島組)や同人脚本家(田村孟や佐々木守)のマネージメント、女優としての小山明子の収入ということになるのか?
肝心の映画は撮れば撮るほど貧乏になるので困っただろうね。とくに佐々木はいくら創造社に注ぎ込んでいたのやら・・・。
「映画」を作るためのプロダクションの中に、佐々木のような売れっ子のTVライターがいて、TVでも割合に好き勝手をやっていた、というのは歴史的史実としてはなかなか面白い。

ATG作品はヌーヴェル・ヴァーグの画面を意識している作品が多いね。
ラウル・クタール調というか・・

大島作品は「コリーダ」「戦メリ」以外は“事実上の廃盤”かもしれませんね。
追加プレスはかなりまとまった数量でないと、コストが跳ね上がりますから

もはや百人百様、皆が皆、満足するような映画など存在しないのだと思う。
そこで現在のキー局・代理店の連中が見つけた最大公約数的キーファクターが
「泣ける」だったのではないだろうかね? 
2025/10/27(月) 02:45:03.09ID:syOarPVh0
吉田喜重の場合、ゴダールに似てるのって「ろくでなし」ぐらいですよね(藁)。ほんと『勝手にしやがれ』のマネ
後は強いて言えばアントニオーニ、アランレネに影響されてる?て感じですよね。でも「エロス+虐殺」以降
はまぎれもなく吉田独特の映画

アラン・レネとアンドレイ・タルコフスキーが吉田と共通点がある監督だと思います
レネは「観念の人」で意外と「政治の人」でもある(美術家に関するドキュメンタリーも撮ってる)
タルコフスキーは「水と鏡とエロスとタナトスの人」

吉田喜重「レネの作品は大半私は眠りながら見ている(笑)。一種の催眠状態にかかって見ている」

「大島一派」とは縁が薄いですね
映画を撮り始める前は良く一緒にいたけれど、映画を撮り始めたら全く別の映画を指向していることが分かり、遠ざかった、だって。

煉獄エロイカ
いつも弁護に入ってくれる佐藤忠男氏でさえ、当時のキネ旬で「さっぱりわからない」と批評してますた。

「煉獄エロイカ」で最後、若い女テロリスト・浄子(木村菜穂)があっけなく
闘争から離脱(裏切り)します。あれは組織対組織であれば、それは常に
権力闘争である。そして権力組織の中では常に「女性」は疎外されがち、
というか仲間に入れない存在である。組織(権力)対組織(権力)という図式
で行くのであれば、それは永遠に果てしなく続く闘争である。それでは無意味
だ。その時「女性が子供を生む」という事だけが確実な事である。たぶん吉田はそういう事が言いたいだろう、と思う。

「20世紀は男の世紀、だから戦争が絶えなかった」
「21世紀は女の世紀になる、そうすれば世の中平和になる」(大意)と言ってた
男=好戦的、女=平和的というフェミニズムの図式丸出しで答えていて失望した
2025/10/27(月) 11:21:18.17ID:syOarPVh0
野沢尚北緯35度の灼熱」この作者は題材の選び方を誤った。話が乱歩賞向きでない、というのではない。
映像にするならともかく小説では、このような話に読者を引きつけるためには、高度な文章表現力が必要である。
新人にしてみれば最も難しい技を使わねばならないのだ。
私はこの人のシナリオ作品を何本か見ているが、むしろ構成力を生かした作品で勝負すべきではなかっただろうか。

全体に劇画タッチであるのが気になった。脚本でしか使われない用語が描写の中に入っているのもいただけない。
2025/10/27(月) 20:16:37.50ID:syOarPVh0
オープニングの演出かっこよすぎだよな。ハンコ使っちゃうことや文字も
原作を忠実に映像化して映画としても原作の映像化としても完璧に近い完成度
傑作だけど、脱走失敗後は失速した感じがする

日本人がどんなに西洋的なモノや価値観に憧れても、
自国の因習や風土からは決して逃れられないと言いたかったのかな。
安部公房自身も、西洋的な乾いた知性を理想としながら
絶対にそれには着けない事が分かってるような作品を発表していたね。特に中期以降。

そうかな。西洋的なものへの憧れ云々というより
「慣れの怖さ」を表してるんだと思うな。
ある種の環境に身を置かれたとき、どんなにあらがってもしだいにその環境に慣れて満足してしまう。
それが端からみてどんなに異質な状態であっても。それをわかりやすく表現する為に
新しい文化・理性の象徴として「東京(都会)」と
古い因習・環境の象徴として「村(田舎)」という
対比を使っているのだと思う。

夜と霧がまさにそれを表してる
最初の絶望感を受け入れられない場合、途中自殺してしまうのだけど、
慣れに変わり生き延びる人は神がかった心を作り出していく
最後に開放された人は元の現実が異質な物にみえてしまい
素直に喜べないような状態とか砂の女に似てる気がする
2025/10/27(月) 20:38:32.42ID:syOarPVh0
「日本近代批判3部作」
『戒厳令』を撮り終えた吉田は「これ以上は前に進めない」、「これ以上は無理だ」、「これからは『戒厳令』の映像を反復するような映画を撮るより仕方がないのだろう」という思いがして、
「気持ちがなえてゆく」を感じたという。

吉田は1974年から『美の美』の制作で長らく海外へと渡ることとなる。それは、自らが異邦人となることで、光=権力という中心から逃走線を引くことを意味していたのだろう。
ここにおいて、彼は中心から周縁へという転回を果たすことで、新たなる創造性を求めていたのだと考えられる。

吉田喜重監督の「侍・イン・メキシコ」という日本・メキシコの合作映画だ。城山三郎の「望郷のとき―侍・イン・メキシコ」が原作
西崎義展プロデュース
使節団の青年武士がメキシコに残ることを決意する。そして、インディオからも征服者スペイン人からも差別されていた混血のメスティーソの人びとに加担し、
メキシコ解放の戦士として独立を勝ち取ったという、伝説に基づいた話だ。
メキシコが経済破綻し、通貨のペソが一夜にして大暴落するという事態が発生した。1982年のことだ。全く予期していない事態だった。
メキシコ経済の大混乱で、結局映画製作を中止せざるを得なかった。

吉田喜重監督、別役実脚本未映画化シナリオ『万延元年のフットボール
2025/10/27(月) 20:50:29.95ID:syOarPVh0
スポンサー(それも大企業)が付いた異色のATG映画、吉田喜重の「さらば夏の光」を、
これはJALがスポンサーになって、ヨーロッパ観光促進のPR映画という建前で作られた為、ATGは配給のみ。
これまた「儀式」と同じくらい難解な内容なんだが、・・・これは素晴らしい!
舞台はマドリッド、パリ、ローマなどヨーロッパ各地(日本国内の場面は1カットもなし)で、その風景が美しく、それだけで圧巻なんだが、
ほぼ二人だけの登場人物の観念的なセリフが、まるで魔術師の呪文のように映像と絡み合い、心地よい幻惑を引き起こす。
ところが物語が進んでいくにつれ、観念的なセリフの応酬が実は「日本論」「国家論」についての議論なのだと気付かされていく。
見る者がこの映画に幻惑してしまうのは、日本という国が世界の中で確固たるアイデンティティを得られず、
まさに‘幻惑の国’でしかないからだ。
最後まで、日本国内の場面が1カットもないのは、
この映画の中の世界においては「日本という国」が実在していないせいではないのか?と思わされる。

これは、メーテルリンクの「青い鳥」のパロディだ。横内正が探し求めるカテドラルは、この映画の‘青い鳥’だ。
それに気付かない者には、この映画は単なる観光PR映画としか思えないだろう。
2025/10/27(月) 22:52:45.98ID:syOarPVh0
桜の園
笠原和夫はこのシナリオについて、
全ての客に受け入れられようとする「ドラマツルギー」が不足した、内輪受けの作品と批判したところ
「それでもよい」とじんのひろあきに答えられ、
そのショックが有名な「シナリオ骨法十箇条」を書く一因となったそうです。

平田の作風は小津とは明白に違うのでは? 小津も「静かな」「淡々」
と称されがちだが、内実のドラマや感情のうねりは恐ろしく劇的であり、平田演劇や本映画にはそれがない。
ただ愛すべき登場人物たちの周囲を周回しひたすらに愛でることにのみ終始する。
2025/10/27(月) 23:05:47.17ID:syOarPVh0
ヘアバンドしてる子もリボンしてる子も全滅したしね
90年代初頭の女の子は質感が今とまったく違いますね。今の女の子は
眉毛が整いすぎていてマスカラばっちりですが昔は本当にナチュラルです。

原作読んだが、監督はほんと好きな部分を膨らまして撮ってるな

主演の二人にキスとかまでさせてたらここまで名作にはならなかった
あくまで思春期のほのかな同性への憧れであって、同性との恋愛でないとこがいい
外国映画だったらひと夏の体験みたいなのがだいたい絡んでくる

あそこまで生身の人間を抽出してきたな
というのと、創立記念日の朝七時半から十時過ぎまでの二時間半をよくこれだけ
持たせたな、というのを評価するのね」(おすぎの発言)

中原俊の作品にいつも感じていた青春のみずみずしさ、
それが彼の作品のすべてといっていいのに、いつごろからか、辛気臭さがはなをつくようになった。
「コキーユ」なんかは、普通は不倫の話なのに、よくああも、
高潔さをたもったものだ。このひとは、増村がそうだったように、
いつまでも、青春真っ只中にいられる人だと、期待していたのに、残念でならない。
「ドメスティックバイオレンス」とか「でらしね」なんかあたりから、なんだ、こりゃ、と思うようになりました

時かけアニメ版は、女性が書いてるにもかかわらず女子の会話にリアリティなかったな〜
2025/10/27(月) 23:35:58.58ID:syOarPVh0
みずみずしさ 瑞々しさ 簡単に言うけど…映像で、それを表現することはものすごく難しい事だと思う。
昔、ちっらと成功したのは…青春デンデケデン がんばりまっしょい くらいか
成功しかけたのが wの悲劇 ラブレター(岩井俊二)
そう考えると、この元祖「櫻の園」は奇跡的にすごい

「櫻の園、中止じゃなくなりました!」の台詞とか、原作にあるんだろうな〜ってずっと思ってた
なんか、みんなキャラ違うし・・・
原作は正に女そのものの感性で貫かれてるから
あれをそのまま映画化しようとするなら中年のオッサンには無理
逆にこの映画は中年のオッサンの感性で解釈しなおしたじょしこーせー像ゆえに成功したと思う
まあ80年代90年代にあった世界かと言えば怪しいし50年代60年代かと言えばちょっと違う気もする
良く出来たファンタジー
2025/10/29(水) 16:06:53.66ID:ARJFJuGG0
ハンス・ジマーのアクション映画『ザ・ロック』なんかその最たる物である。もう、効果音をも消し飛ばさんばかりに音楽が鳴り響く。冒頭からエンディングまでひっきりなしに唸りまくる。
明らかに鳴り過ぎである。しかも、ジマーはロックのリズムを基本にシンセと打ち込みを多用するため、銃声なのかドラムの音なのかわからないこともしばしば。
同じように鳴り過ぎでもディヴィッド・アーノルドの『インデペンデンス・デイ』の場合は、基本がシンフォニックなスコアで、流れるような曲なので、爆発音などは音楽とは別に聞こえる

映像の流れ・場面展開・人物描写・心情にあわせて作曲する事。こう言えば簡単だが、これがきちんと出来ている映画はなかなかお目にかかれない。邦画では全滅に近い。
わずかに宮崎アニメにおける久石譲や『ガメラ』の大谷幸くらいではないか。だいたい時間に余裕がないので、完成したフィルムを見てから作曲することができない上、
音楽に予算をかけないという体質が問題なのである。ハリウッドの作曲家なら最低限のフィルムスコアリングはできるはずである。それも最近は怪しくなってきたが。
 フィルム・スコアリングにも段階があって、単に映像にあわせるという単純なものから、人物の心情を音楽で表現するという高度なものまで色々である。ここで映像にあわせるというのは、
雰囲気にあった音楽を流すというだけではなく、編集によるカットやシーンの変化にも対応するという事である。これが最低限度のフィルムスコアリング。映画は俳優の細かな演技を映し出すことはできるが、内面まではなかなか表現できない
現代的なフィルム・スコアリングを確立したのは、やはりバーナード・ハーマンであり、そして、ジェリー・ゴールドスミスがその手法の代表者。ふたりが亡くなった後、継ぐべき若手作曲家が見当たらない
2025/10/30(木) 10:40:01.18ID:EGOrz8bq0
戦後、広葉樹林を伐採してスギなど成長の早い針葉樹に植え替えた。
森の多くがスギで、熊の食べ物がない。
気候変動によるブナの実の不作らしい。 冬眠前で餌が少なくなり、活動期が長引いてる

熊が人間のエリアに出てくる一番の理由は、熊の数が増えて縄張りを追い出されたからだ
2025/10/30(木) 13:33:05.15ID:EGOrz8bq0
内田吐夢がいかに美術センスのある監督だったかは、東宝『真剣勝負』を見ればわかる。
低予算=美術が貧弱
というのはあまりにも単純な発想じゃないか。てゆーかそれは美術の見方じゃなくて金庫番の考え方だ。
例えば絵に描いた三十三間堂を斜めにするとか、美術予算がいかに貧弱だとしても、そこでいかに工夫するかを教えてくれる

吐夢の色のセンスは凄いよなあ。「人生劇場 飛車角と吉良常」、
鶴田浩二がラストで歩く花道、赤いホリゾントにスモーク、なんじゃ、ありゃ?
モノクロ時代を知っているスタッフは、色彩を撮ることに意欲的ですね。カラーが当たり前
の時代のスタッフの色遣いは、かえってつまらない。発見の喜びがないんだろうな。

金掛けりゃ一定の美術が作れるのは当たり前。『クレオパトラ』でも褒めていなさい
2025/10/30(木) 14:06:30.45ID:EGOrz8bq0
松竹京都の松野宏軌は京都映画のTVを陰で支えた監督。なにげなく、「京都殺人案内」を
観ていると、この人だったりする。必殺シリーズ最多登板監督。初期の必殺シリーズで工藤栄一や三隅研次よりも凝った構図
他の監督が断った企画・脚本、スケジュールの都合で流れそうになった作品を、トラブルシューティングし続けた監督
「吸血髑髏船」にしても、小林久三が、キイハンター「幽霊船が呼んでいる」(監督=佐藤肇 脚本=高久進)を
、テキトーになぞったシナリオで、撮らねばならなかったそうだ
撮影終了してから船貸した会社からクレームついてズタボロにカットされた状態で公開
されたって。それで松野は大船を去り古巣の京都でテレビ時代劇を手掛けるようになったみたい。
2025/10/30(木) 14:32:25.87ID:EGOrz8bq0
ニンゲン合格は「希薄な家族関係」という清にとっては
珍しくはない、というか当たり前の家族関係を自然に演出したらしい。

廃墟やそれに近い建築物の数々は何かの象徴ではないし退廃的な映像美を目指しているわけでもない。
日頃の美意識に反する建売り住宅や貧乏臭いアパートや畳敷きの部屋さえ撮る事を厭わなくなった
黒沢清がそれでも撮りたくないのは東京タワーや満開の桜の木や富士山。
622名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2025/10/30(木) 16:07:21.42ID:EGOrz8bq0
櫻の園
空間を自在に捉えるカメラ(撮影監督・藤沢順一)の醸成する映画的ムードが圧巻。
 由布子と知世子が記念撮影する場面では、ズームも前進移動撮影も使わずに、二人を少しずつ前進させるという手法を使って幸福そうな二人に接近する。
 同じシークエンス。二人が撮影する部室外を見通せる窓のある(観客寄りの)廊下に紀子がいる。二人が出ていくのを右移動しながら捉えていくカメラは窓の右横にいるはずの彼女を捉える前に窓で暫し止まる。
そして、カメラは二人の準備する様子を見せた後窓から右に移動して涙を滲ませる紀子を捉える。これが非凡である。
 そこに紀子がいることを観客が予想しているが故にその間の紀子の心情を沈潜させたこのカメラワークが効果的になるのである。
だから、窓の右横に紀子のいることを予想できない観客にこのカメラの凄さは理解できないことになる。
 省略⇒勘⇒余韻・・・これぞ映画と言うべし
2025/10/30(木) 16:38:22.55ID:EGOrz8bq0
女は1人だと不安になり、2人だと素直になり、
3人よると微妙になり、4人以上集まるとバカになる。

その描き分けが絶妙である。集団のなかでは、どうでもいい会話、本音を話さないための会話を連打しながら孤立感をさける女の会話がほとんどを占める中、
ポイントポイントで、2人になったときに交わされる本音の会話がとても素晴らしい。

女子高特有の宝塚に憧れる女子生徒間の恋愛、男に対して恋愛することに臆病な時代に、世間で言う恋愛というものを同性間でやってみる予行演習的恋愛、
それを描いたドラマといっていいだろう

演劇部の部室で彼氏と居ちゃいちゃしてるところから始まる。カメラがいきなりフカンからはいり、役者の顔もみえないまま
延々長回しさせるのでなんじゃこりゃって印象わるかったのだが、カメラが水平ラインに降りてからは普通にみられた。
この城丸さんは男とすでに恋愛をし、キスなどしているので、通常恋愛に既に移行している人であり、このドラマの中ではニュートラルな位置のキャラクターとして描かれている。

パーマをかけてきて他の部員達を驚かせる。
そんなさりげない、しかし、校則違反を突然やってきた部長さんの小さな非日常から物語がころがりはじめる
2025/10/30(木) 17:07:47.34ID:EGOrz8bq0
リバー・ランズ・スルー・イット』に関しては判る人にしかわからない映画だと思う。
判らない人には全然チャンネルが合わない。ほとんどのエンタな監督さんは、
シナリオ上で、「こうなって、こうなって、ここでこれを終わらせて、残ってる問題はこれで、こうなってるから、
ここでこうしたら物語りは完結する」って物語を閉じるのだけど、レッドフォードが魅せるのはシナリオに書かれている台詞やイベントじゃなくて、
その文字と文字の間にある行間。イベントを見せるのではなく、伝えるものを感じさせる演出。伝えるものは劇中で語られない。
スピリバーグの映画みたいに、伝えるもを見せてしまう映画に慣れさせられていると、こういう映画は「なにこれ?」ってなる。
イベント映画専門の人はパスしたほうがいいだろう。

エイドリアン・ラインのおしゃれな絵づくりの素晴らしさ
CGでの姑息なテクではなく、そこにあるものをカメラで撮る、画面 の切り撮り方、露出の合わせ方、光の滲ませ方、ライティングの設定、
レンズの選択、その撮り方が上手いだけでこれだけオシャレな画面 が出来るのだという見本なのだ。カメラをやっている方ならその意味が判ると思うのだが、
彼の映像はアナログ写 真的映像美映画の金字塔として語り継ぐに値する。
<望遠で街のなかをスケッチ>
<露出アンダー:奥を明るく、手間を黒く>
<鏡面効果のある床や水溜り>
<透明感のあるものを描く・透明感のあるものを画面のなかに配置する>
<逆光で服や髪を透けさせる>
<人工のライティング・雨やスモークを使い光を見せる>
<無機質なアイテムをカットとカットの間にはさみこむ>
2025/10/30(木) 21:55:47.65ID:EGOrz8bq0
フランケンハイマーは、この手作り感がよいのだよなあ。
これがジョン・ウーなんかだったら漫画・アニメ演出になちゃうし、ジェイソン・ボーンシリーズのアクション監督だったら、
やたらと見えないカメラブレばっかり多用していかにも演出してます!みたいな画面になちゃう。かっこつけすぎず、
仰々しくしない程度の演出してくれるのがやっぱり嬉しいぞ、ジョン・フランケンハイマー
フランケインハイマーの演出の上手さって、人間が出来る範囲の技量にとどめて、その範囲内でドラマを撮るところ。
最近のアホ監督は、できないことをCG使って描いて「おれって才能あるなあ」って勘違いしてるからこまったもんだ
2025/11/01(土) 14:19:44.18ID:wblkz7MC0
松田優作の過去の著作権・肖像権・版権とかあんな風な異常なビジネスモデル化されてる
俳優なんて故人でも日本では彼しかいないよな

ショーケンの傷だらけの天使は代表作扱いだけど似た感じの探偵物語は代表作って感じじゃない
探偵物語は、「週刊 松田優作ショー」
傷天や太陽にほえろのパクリネタばっかだし
音楽の作り出す雰囲気に助けられてるだけ

視聴率は初回から半分程度に落ちるし
あの時代にしてはおちゃらけというかおふざけがすぎてたよね
ふざけた脚本をさらに現場の土壇場の村川流のふざけた改変とかさらにおきまりのアドリブの数々とかね。まあそれらが相まって
逆に最終回はよりハードで劇的な展開に仕上がってる訳なんだが良い意味でも悪い意味でも唯一無二のドラマだった

京都迷宮案内って、ストーリーやキャラクター設定、
街の仲間との関係性など、絶対に探偵物語の影響を受けてるな。
橋爪功の主人公キャラ設定が工藤ちゃんの25年後といった感じ。
ライターの火力最大もパクってるし。
街の仲間との関係性とか、ハードボイルドタッチな作風・キャラ設定など、全体的に影響受けてるのを感じるわ。
殺人事件を新聞記者が解決するドラマかと思いきや、ほとんど殺人の起こることのない意外な設定もまた良い。

処刑遊戯 の元ネタ であるサムライ
プロット、全体的な流れ、組織と主人公をつなぐ ピアノを弾く女、黒幕が警察というオチ、主人公の格好 まで ほんとそっくりだった
原案の小鷹さんにしても村川監督にしてもあのあたりのハードボイルド・フリークな人達は名作の踏襲というかブっちゃけパクリ好きだからな

デビュー当時の演技は岸田のものまねだったけど
映画家族ゲームの撮影時に、優作に向かって監督の森田芳光が優作さん、演技がショーケンっぽくなってますよ。と言ったのは有名

ショーケンの後追いが渡部篤郎
他、浅野忠信らが出てきて何か喋ってるのかわからんかったよ
2025/11/01(土) 14:58:12.87ID:wblkz7MC0
探偵物語の面白さは、松田優作が突如出してくるアドリブだろ?
アドリブ探しと、それに呼応する役者の反応が面白いわけだよ。
さらりとかわす人もいれば、戸惑いを見せる人もいる
手法が萩本欽一と同じだね

松田優作って全然受けの芝居しない人なんだね
共演者はやりにくかったろうな
役者って生理的にMの人多いから松田優作のドSっぷりが際立ってました

今のドラマみたいな超意外な展開!みたいなのはないからねえ
工藤ちゃんのいる猥雑な街で一緒に一刻を過ごす感じかなあ
日本全体がモラトリアムの真っ最中な時代のドラマ

現存する役者たちの松田優作に関するエピソードは言い値みたいなもんだからなぁw
優作ファンの爆笑問題の太田に蔵出しエピソードを迫られて>面倒くさい人だったよ、でさっさと終了させた岩城洸一の対応が無難
いろいろ語ると胡散臭くなりがちだしさw

遊戯シリーズは B 級アクションの傑作だろう
ヨミキンはそれを潤沢な予算でやっておかしな方向に行っちゃった感じ

BJ ブルース見たけど、めちゃめちゃショーケン芝居だな
語尾も優作特有の「〇〇だぇ」みたいなのじゃなくてきちんと言い切り型にしてるし、意識してゆっくり喋ってるのがよく分かる
あの無精髭風お洒落髭やコートなんかもショーケンだね
正直映画自体はアルトマンのロンググッドバイにポランスキーのチャイナタウンくっ付けただけ
横浜が舞台なんだけど殆ど横浜感が無いのよね
あからさまに感出すと安っぽくなっちゃうから避けたのかもしれないけど

長渕は酷いぞ
金子正次の「竜二」見てからヤクザかぶれになって唄い方までショーケン風になったどうしようもない人
気のいいあんちゃんキャラからマッチョかぶれのチンピラに変身は凄かった
とんぼは面白かったけどね
長渕の演技や暴力演出も当時はヤクザファンタジーとして新鮮だった
その後勘違いして長渕も黒土も駄作連発だったが
2025/11/01(土) 15:27:53.62ID:wblkz7MC0
70年代のアドリブ系芝居当時は面白かったけど時代を超えない芝居なんだよな
80年代ひょうきん族がドリフターズへの対抗手段としてアドリブ=楽屋オチを連発
ウケまくったが直ぐに飽きられた。モノマネ芸と同じでその時代の今の瞬間しか通用しない
ドリフも今見返すと懐かしさは感じても面白さは感じないな、結局アレも場当たり的なギャグしかやってない

記録映画か新日本紀行でも見てる気分だ
70年代終わり頃の街並みもたまらんわ
特に夜の盛り場の雰囲気がたまらんわ。
意図してはなかっただろうけど、そういうのを映像記録として残してくれたスタッフに感謝。

演技派になってからは口元の締まりのない話し方や滑舌は改善され、厚い唇を美容整形したあたりは成功したと思う
BJ、陽炎座あたりまではいつものタラコ唇なんだけど以降は口元が妙にスッキリしてるんだよな
最初は唇の噛み締めとドーラン、口紅系で薄く見せてるのかと思ってた

奥歯4本抜いた後何も処置をしなかった=奥歯で支えてた頬肉が落ちてくる
口角が下がることによって唇の張りがなくなっただけだと思うけどね

雅俊さんも長身で脚長なんだけど、胴体がズンドウでマグロみたいなんだよね
優作さんは線は細いけど引き締まっている
背中の筋肉の盛り上がり方は体質なんだろうな

優作の手と肩幅を受け継いだ龍平
彼の佇まいのセンスは全て優作の遺産だなと思った
肩幅の無い身体の動きはとても滑らかで
2025/11/01(土) 22:26:45.42ID:wblkz7MC0
田宮二郎・高倉健的なアクション像にアンチを提示した原田芳雄、岸田森

「野獣死すべし」で室田さんと列車内のシーンで優作は瞬きをしていないというのは有名だけど
竹中氏が優作のよくやるカーッと目を開く演技は黒沢年男がよくやってたって言ってたね。
初期の作品(ジーパン、狼の紋章、ともだち)は台詞回しが非常に岸田森に似てる。
狼の紋章の背筋をピンと伸ばしてほとんど表情を動かさない演技はまるで岸田ドラキュラ。
竜馬暗殺から芳雄に乗り移られちゃったけどね。

優作は団塊世代の典型だな。すぐに議論ふかっけたがる、他人を非難したがる。
自分の野心だけはギラギラしてて傍目には鬱陶しい。
この人の言うこと、観念的すぎて疲れれるな。
「皮膚の裏側までかゆいという表現ができなけりゃあ駄目だ」とか。
「俺にそういう演技をさせるアンタの背景は何なんだ?」とか。
セットにあるコーヒー指差して
「そのコーヒーはブラックなのかミルク入りなのか、誰がどんな気分で飲むんだ、そこを明確に説明しろ」だとか。
一緒にいるだけで回りの人間は、かなり疲れたと思うよ〜
2025/11/01(土) 23:52:05.57ID:wblkz7MC0
池上冬樹「清水は字幕翻訳者ならではのはしょり癖があって3つの形容詞を1つしかやくさなかったり
数行飛ばしたりするがとにかく語感がいい。村上は1ちご1ちご訳してハードボイルド探偵
から都市文学に出てくる冷静な観察者になった。文学よりになった。」

清水訳は日本人の情感に合うように、よくできてるからねえ。
再構築し固定させたという点では、上田敏に匹敵する荒業だと思う

翻訳家志望ほど、文脈を捕らえられず、単語のみに目がいってしまうらしいな。
誤訳などの翻訳の精度よりも、雰囲気を訳すほうがよっぽど難しく才能が必要。

清水はスラングの翻訳がヘタクソ、というのは池上冬樹が言ってたな。
人に呼びかけるときに使うJackをそのまんま「ジャック」としたり(田中訳では「おっさん」)
peepersを「私立探偵」としたり(田中訳は「覗き屋」)。

映画史で、よく言われるのは、
@ 先鞭をつけた、『三階の他人』
A 世に知られた、『マルタの鷹』
B 様式を示した、『深夜の告白』
C 洗練を加えた、『欲望の果て』さらば愛しき女よ
D 物語を捨てた、『三つ数えろ』大いなる眠り
E 実験に走った、『湖中の女』
F 頂点に達した、『過去を逃れて』
2025/11/02(日) 00:58:20.95ID:tSlyrKse0
ハメットの創造したハードボイルド主人公トリオの、オプ、スペード、ボーモンが基本にあるのはある。
皮肉を飛ばす一人称文体ではオプ。ピンチでジョークを飛ばす性格はスペード。
策士ぶりと友情主義ではボーモン

ハメットはプレイボーイ的要素が日本人に合わないんだと思う

ロスマクはシリーズ第一作「動く標的」から「凶悪の浜」あたりまでは
アーチャーにマーロウ的な「ハードボイルド」な感じのキャラをやらせていたけど
「運命」あたりから探偵のヒロイズムを出来る限り落としていった
中期の傑作三作はその手法の到達点

ロスマクの描く街は、なぜだか白黒で脳内変換される。
ロスマクは荒野の中にぽっつりとできた街に思えるんだよな。
チャンドラーの情景描写って色彩感覚が豊かだよね

春樹訳を見て「チャンドラーってこんなにおしゃべりだったんだ」という
でも、日本語ってのは谷崎潤一郎も言ったように端折るのに特色がある言語。国民性。
欧米の文学を直訳されると「よくしゃべるな。くどいな」という感を持ってしまう。
源氏物語なんて英訳されたものは日本語より長くなっている。

逢坂剛さんも「私が好きだったのは清水チャンドラーだったのかもしれない」
小鷹さん曰く「春樹訳で読んでいる人はミステリの読者じゃないですから、どのみちたいした問題じゃないです」
2025/11/02(日) 23:28:26.42ID:tSlyrKse0
シンゴジラ」ってのは「日本の首領」の系譜だからな
登場人物やたらと増やして全世代にアピール、日本ローカルでは客は入るが外人には意味不明っていう
東映の正月映画の手法そのまんまだろあれは

どの辺がリアルかというと
・官僚に貸与されたパソコンがレッツノート
・アスクルの青いペン
こういう細部が「リアル」なんですと
細部の小道具の表層的なところ(メーカー名とか)だけこだわっても無意味
そういうのにこだわって大事な筋のリアリティがダメダメなのってどうなのか、と思うわけです

松竹の優良コンテンツだった「釣りバカ日誌」はスピンオフ的を含めて、全22作品。
後半の13作目から22作目の興業収入平均は5.6億円。ファイナルの一つ手前は3億円代。
東映と松竹という会社の違いはあっても、この程度の興業収入でも延々とシリーズが続く

探偵はバー
エロシーンは「トラック野郎」とか「不良番長」とかの昭和東映テイストでは必須のシーンなんだよ。安っぽさも含めて。
1、2作には今時のテレビドラマにない、東映鈴木則文、泥臭さとかアクの強さがあった
1は面白かった
2は雰囲気そのまま、話は感動、アクション冗長、お笑い幼稚
3は雰囲気テレビドラマ、話は感動しない、アクション冗長、お笑い幼稚
2025/11/03(月) 11:06:59.04ID:JTYGOQX00
退屈してしまいました。コンクールは消えてしまえばいい。
こういうことを言うのは少数派でしょう。音楽はスポーツではありません。
芸術なのです。スポーツは速さ、距離などを測ることができますが、芸術は計り知れない要素の集合です。
審査員のいるスポーツのフィギュアスケートなどは芸術に近づくと問題が生じるのです。
人の趣向、エゴ、嫉妬心などの感情が入り込みます。芸術で測れるものがあるでしょうか。主観的な趣向だと思います」

いくつ優勝すれば十分なのですか。多くのコンクールで1位を取った人は今どこにいるのでしょうか。
消えてしまったのですか。私はぼやいているだけかもしれません。
今の私がショパン・コンクールに参加しても優勝できないと思います
レスを投稿する


ニューススポーツなんでも実況