1952年1月18日、韓国の李承晩大統領が国際法を無視して公海上に「李承晩ライン」を一方的に設定し、そのライン内に竹島を取り込み不法占拠を開始しました。これにより、周辺海域で操業していた日本漁船が次々と拿捕されました。
拿捕された日本漁船:328隻不法抑留された日本人漁師:3,929人死傷者:44名(うち死亡者8名)
抑留環境:釜山などの収容所に長期間閉じ込められ、過酷な寒さ、劣悪な食事、日常的な暴行に晒されました。
韓国側の要求と「犯罪者の釈放」韓国政府は、拉致・抑留した日本人漁師の返還条件として、長崎県の「大村入国者収容所」に収容されていた在日韓国・朝鮮人の釈放を強く要求しました。
大村収容所に収監されていた者たちの内訳は以下の通りです。
戦後の不法密入国者日本国内で重大な犯罪(殺人、強盗、その他の凶悪犯罪)を犯し、刑期を終えて強制送還処分(退去強制令書発付)となった犯罪者韓国側はこれらの犯罪者の引き取り(強制送還)を頑なに拒否した上で、「日本国内で釈放し、在留資格(永住権)を与えよ」と日本政府に迫りました。
日本政府の対応と苦渋の決断働き手を奪われた漁民の留守家族や漁業関係者からの早期救出を求める世論が高まり、日本政府は国民の生命を守るために韓国側の要求を受け入れざるを得なくなりました。
1957年(昭和32年)の日韓合意:日本政府は、退去強制令書が発付されていた在日韓国人犯罪者ら474名を釈放し、日本国内への法的居住(実質的な永住権の付与)を認めました。
見返りとしての釈放:これと引き換えに、韓国側に人質として抑留されていた日本人漁師たちがようやく日本へ帰国することができました。

在日は凶悪犯罪者の子孫と心得よ。