>善行は此岸だけど、解脱は彼岸だから、

>あくまで六道における善悪のゲーム
>それは同時に自己正当化、自己保全、自我執着を正当化するための言い訳、

>世間と出世間の区別を嫌う人種もいるけれども、この分別無しに仏教は成立しない、

こういう意見を見ていると、つくづく上座部仏教って「小乗教」に相応しい教えだと思う。
「自我執着」というけれど、一番自我執着しているのは彼ら自身だとなぜ気付かないのか分からない。

世間と出世間の区別はバラモン教の流れを汲む選民意識であるし、「一切衆生皆平等」である釈尊の教えから
大きくズレている。

「苦しんでいる人を救いたい」という生命の尊く美しき心の発動を
「自我執着を正当化するための言い訳」と貶し、「六道における善悪のゲーム」と高見から見下す。

こうした考えが本当に釈尊の教えだろうか?
私はまったく正反対だと思う。