歴史を論じるにしても、もっと明白な矛盾を突いてくると我々の気持ちも一気に方向転換する可能性もあるのですが、

きょう子先生が離婚の時に「霊言は偽物」というひとことが落ちているが為に、やっぱ本物なのかなという印象が定着してしまいました。

アンチは実は方法論で失敗をしていて、中くらいの矛盾点を数多く掲げて、自分のレポートを充実させていくということに腐心し、自己満足に陥っています。

しかし、そうではない。

信仰心を打ち崩すような強烈な一撃をかませるのは、もっと違ったやり方だと思っています。


また、潮文社の天照か龍馬に出てきた「聖徳太子の霊言」に噛みついてくる馬鹿がいるのかなと思うと、故意に時間稼ぎをして、無意識のうちに無為な人生を送っているような気がします。

(例えば卑弥呼の霊言の時に、私の気持ちの中で「卑しいとかいう漢字を使って自称するか、果たして?」と中学時代から思っていたので、本当は日向・ひむかです、という記述が無ければ、私はサンライズ90の前に、退会していた可能性があります)