本来、人がそれがあって幸せだと思っているものを他人が奪う権利などありませんが、
その幸せだと思っているものが後々害をなすことがわかっているのなら、止めてあげた方がいいのはもちろんです。
例えばドラッグやアルコール中毒になりかけている人を立ち直らせることは「善いこと」と言えます。

つまり他宗を排斥しようとする人はその他宗が例えば覚醒剤のように、
「今は幸せや心地よさを感じているだろうが、後々甚大な弊害を及ぼす」
ということを「客観的」に証明する必要があります。

鎌倉時代の日蓮はその「客観性」において一定の支持を得たからこそ信者を獲得したのです。
しかしその「客観性」が今の時代に通用するかどうかは大いに再考の余地があるでしょう。

日蓮信者の務めは、他宗がいかに間違っているのかの「客観性」を現代人相手に獲得することでしょうね。
つまり浄土教は覚せい剤のようなものだと証明する必要があるということですが、
大変ですねえ

このスレの住人も折伏できないようなら土台無理でしょう。
いろいろ工夫しながら頑張ってみてください。