頭の中に思い描いた概念について、あるとか、ないとか
信じるとか、信じないとかやってるんだとしたら、宗教信者も
無神論者も、本質的には同じ土俵で同じことやってるのと変わらんでしょ。

信仰とすべき対象が人智を超えたものであるなら、それは頭の中に
思い描いた概念じゃなくて、頭の外にある。

頭の中に思い描いた概念を信じているなら、それはまだ見解(に対する固執)。
人間の妄想する思考概念の外に、人智を超えた智慧があると信じるのが信仰。
智慧に達するのが修道。

同じ○○仏教に所属してはいても、見解の段階の人もいれば、信仰の段階の
人もいるし、修道の段階の人も居る。
そういうことだと理解してます。