>>22

自分がやったことで刑罰を受ける、

イエスも、同じ刑罰を受ける、

この世の愛のなさ、人々の罪と闇の深さ、

イエスは、悪い事をしていないどころか、愛が語り、愛が行動した、

愛そのもののお方が、罪人となって我々と一緒に同じ刑罰で、

十字架上で肩をならべておられる。

この御姿に畏れを抱かずに、いられましょうか。

自分と『同じ刑罰』を受けている事に対する直視と戦慄があります。

ユダヤ社会の神を畏れぬ人々のうち、

十字架で隣に並んだ一方の罪人が、このみぎわに遭遇しても、

まだ尚、刑罰から逃れ、救いを求める強欲と、逆恨みの
哀れな邪心を口にするのです。

自分の犯罪に対して刑罰を受けるのは当然だという、

正常な意識が働く者と働かない者の差。

死んでから審判を受けるのでなく、

生きている時に逃げず、逸らさず、誤魔化さず、

正常に自分で審判を下しています。

この犯罪人は、見たし体験しました。
見てわからぬものは、聞いてもわからない、といいますが、
宗教の錯覚が、この場面ではないことがはっきりしています。

愛は着飾りでない、愛は形式でない、愛は律法主義でないー