>>409
まちこ師、こんにちは、まちこ師のスレで長文書き込みを容認してくだっている
寛大さに感謝しています。

まず、繁栄教とは書き込んでません。繁栄派であり、またまちこ師の教会がそう
いう派であるとは、思いませんし、書き込んでもいません。一般論です。

什一献金は聖書に書かれていることですし、それを守って、祝福されるのは
良いことだと思います。わたしもできうる限り守るように努めています。

ここで述べさせていただいたのは、もし繁栄派なる教派があって、その派で
この世での人間的な成功が(たとえそれが神様の祝福の結果であったとしても)
それがクリスチャンの最終目的ではないのでは?ということを述べたかったの
です。最終目的は何度も言うようですが、この世のことではなく、後の世の
ことであるのでは?ということなんです。

というのは、神様によってこの世の成功を制限されることもあるからです。
パウロはいくら祈っても持病を癒やしてもらうことが許されませんでした。
極端な例をあげると、殉教を受け入れなければならなかったクリスチャンも
多くいたと思います。

この世の健康・祝福・成功を隣人を愛するための道具として使うために、
祈り信じて与えてもらって、活かすことは、神様の喜ばれることだと思う
し、見本にするべき姿勢だと思います。

ではそれらが与えられた後はどうするのか?それらを活用して、隣人愛に
役立てることだと思うのです。
健康であっても、身体を使えば疲労し不健康になることもあります。富は
使えばそのことによって貧しくなることもあるでしょう。

ですから、神様の祝福によって得られたものが、最終目的ではないということ
を自覚することが大事だと、言っているわけです。

たとえ神様の祝福の結果得られた良きものであったとしても、それはこの世で
隣人愛のために消費するべき、手段であるという自覚が大事だと思うのです。