日本人は血を知っていると思います。
現代の私たちが勘違いしてるのではないでしょうか。

戦後までは血みどろの闘い、日本国内の歴史の戦場でも首洗いの井戸があり

生活を荒らされ困窮した農民が、それでも井戸で血まみれの武士(兵士)の首を洗って
葬っています。

切腹、腹きり、切り捨てごめん、血天井

血まみれです。

動物でも人間でも刀で切ると血が噴き出し、死に至る事から、
生死と血は直結してしていることは、わからないはずはありません。

血潮、つまり命です。

イエス様は、ご自分の命で清めてくださいと言われたのであって
血なまぐさいのではなく、清浄観の次元上昇、霊的な血潮だと
思います。

日本人が血を嫌うと言うのは、現実の血なまぐささが一切ない
民族であったという事実などない事からも、

霊的な清さを希求するという精神性が血潮に対してある事から

現代の私たちは、分別できなくなっているいるのではないでしょうか。

つまり、シャロンさんの言われるように、血潮=最も穢れない命で

清める、ですね。 

言葉尻のイエス様の血潮はもはや、肉的な領域でないのですが、

そのあたりも日本人なら理解できると思います。

基本的に自分が思うのは、10〜30年前頃の教会の 無策な態度が、
今日の教会の問題の原因だと推察する。

その時期は自分が最も教会から離れてた時期なんで、詳細はわからないけど、
今日びの教会信徒の態度は最悪と思う。

無関心、仲間割れ、信徒の間での優劣・階級付けをして差別、徒党を組む、
偏狭な態度…

都内大教会でも、聖堂係は 堂内で気分が悪くなり うずくまっている参加者を
見かけても素通りですよ。

人間としての度量の狭さ、醜さのオンパレードだね。

神父たちの人格は悪くないのだけど、悪しき信徒達は 神父との交流を
セレブ的活動、アクセサリー的なものとしか見なしてない。

もはや、腐りきった信徒を統制・教育できなくなってる教会、
が現状だと思う。