神の殺人命令は直接来るのではなく、
モーセや麻原のような人間を通してやってきます。
もっと正確に言えば、モーセや麻原は、彼らの殺人計画を、
「これは神の命令である!」、と権威づけて、彼らの追従者に半ば強制したのです。
実は、ここに、信仰者のための、おそらく唯一の、救いの可能性があります。
つまり、神への信仰を捨てずして、自分の良心にしたがって、
殺人命令を否定する方法です。

それは、神の意志と、神の代理者であるとみなされている人間(神の言葉の代弁者、
聖書の著者、宗教の聖職者、神学者、宗教の教祖、、、)の意志とは、
必ずしも同じとは限らない、という事を認めることです。
神の意志と宗教の組織の方針とが必ずしも同じだとは限らないという事を
認めることです。聖書も創世記から黙示録に至るまで全て人間が書いたものです。
聖書は神の言葉だ、と聖書の中で書いてる者もそう言っている者たちも
みんな人間です。現代の宗教の組織を運営している方々が、
たとえ立派な人々であったとしても、この人々の意志が
完全に神の意志と一致しているわけではない、
宗教の組織の人々や宗教の文献を書いた人々や聖書を書いた人々の意志も、
必ずしも完全に神の意志と一致しているわけでもない
と考えることです。
こうして、信仰者は、神への信仰を捨てることなく、
もし、自分の良心に逆らう命令(神の意志とは思えない命令)であれば、
神の代理者として自分の前に立ちはだかる人々の命令を
堂々と拒否することができるのです。
そして、何よりも、神の前で、頭をあげて自分の取った行動を釈明することができます。