聖書を書いてあることを、神の言葉として絶対化することも、問題とせねばなりません。
「愛と赦しと平和」を説く柔和なはずのキリスト教が、
いったいなぜ、聖書における神の殺人命令を否定できないのか。
それは、信仰の原理である、人間的な判断よりも上位にあると考えられている
神の意思を先行させる考え方にあります。
信仰者は、常に、自分の「人間的浅はかな判断」や
「己の小賢しい知恵」を捨てて、信仰の対象としての超越的な権威
(聖書や教祖の言葉)に従うことを正しいとするのです。
だから、信仰者にとって、信仰者であるかぎり、
神の殺人命令を否定することはほとんど不可能であると言えます。
信仰の原理に立つ人には、もしかしたら、殺人が、神の名によって
正当化されたにすぎないかもしれない、という視点への選択肢が、
はじめから抜け落ちてしまっているのです。