>>851(>>851の続き)
で、その個所は

1.無相心三昧は作られたものであり思念されたものである
2.あるのは、この身体だけによって六処をもつものであって、(それは)命あるものであることを縁とすることによっている、ただこの不安だけである。
3.そこ(A)に全くないそのもの(B)によって、そこ(A)を空であると見る。
  なおまだそこに余ったものがあるとき、在るところのそれを、「それはある」と知る。
  このように、かれには、アーナンダよ、この、如実であって転倒なき清浄な空性が顕現し存在している。

という三部構成になっている。
ところで、ばか珍は2.の

 >あるのは、この身体だけによって六処をもつものであって

を根拠に、人有と吹聴しているが、その直後に

 >(それは)命あるものであることを縁とすることによっている

とあり、縁生、つまり人有でないと説かれている。

(続く)