ぶっちゃけ
宗教はああ言えばこう言う状態だから、わかりませんになるだけだ
こんな状態では真理はわからないと語って当たり前
真理など現世には無い
真理は悟った人に内在する理屈があるだけだ
だから煩悩は無い
真理は言葉で表せない
言葉はコミュニケーション
自分で思い描くのは、言葉だけでない
イメージが大勢だ
言葉は、移ろい変化し、解釈が広がり、誤解を生むもの
様々な角度で様々な言葉を使い、時にはモノ見せたり、絵を描いて見たりして自分の考えを説明するのがコミュニケーション
目的の無い議論、空想の定義を議論すれば不毛になる
空想の定義に答え合わせは不要
引用してる内は、自分の考えになってない
引用するなら相手に納得させる引用の内容の検証を示す必要がある
めんどくさくなる
自分で因果を捉え納得を得て自分の言葉で話す方が容易い
見ない、経験しない事は、納得は得られない
強い信心が支える理屈はあれど、絶望があり得る
仏教を語るなら様々な言葉を使い、これが本質かな?と互いに落としどころを得ようとするのが仏教の向き合い方だ
その落としどころもやがて移ろうだろうけどな

現世は全て移ろい変化する
悟りは自発的に開くもの
誰でも開ける
閉じこもっているから開くと表現する
脳の生理現象がガラリと変わる事を必須とする
修業したり、どん底状態になったり、追い詰められた時に起きやすいし、薬で起きる事は、知られてる
コレを引き起こす手法は科学的な取り組みは行われてはいる

移ろい変化しても、内在する真理により、これでイイのだ!状態が延々と続く
これが悟りの状態だ

んで、その悟りとは?と言葉では表せない、語り尽くせない