山本利三郎【やまもと りさぶろう】
嘉永3年(1850)1月13日生まれ(河内国志紀郡柏原村‐現・大阪府柏原市)
明治23年(1895)11月13日出直し:46才
明治6年(1873)相撲が原因の三年越しの病を教祖に助けられる
明治20年1月26日のおつとめで「かぐら」「てをどり」をつとめる
柏原分教会(現・中河大教会)初代会長
(『稿本天理教教祖伝逸話篇』33「国の掛け橋」)

 教祖の弟子として取次人で筆頭でした。といっても良いでしょう。

 しかし教祖が扉を開くと、その存在の影が薄くなります。

明治二十一年二月二十日(陰暦正月九日)
 山本利三郎身の障りにつき願い。
 さあさぁ一寸聞き難くいと思うやろう。
どんな理も聞くやろう。さあさぁ一時治めようとて治まりはせん/\。
さあさぁ一時には治められはせん。どんな理もある、事情もある。
さあさぁ順々の理治め。
世界は段々の事情を、あちもこちらも、さあさぁ順々の理から治め。
又こちらの理も治め/\。順々そこで一寸身に知らせ。

  当時は面々が会長で、天理教会をつくりたくてたまらないわけで、
 一時に治めとは、そういう手柄争いのことですが、早く治めたいではだめです。
 「どんな理」とは「鈍くさい」の「鈍」です。
  信者間のごたごたをうまく治められない。山本利三郎の状態があります。

 ここには、自分の力で治めようという利三郎の姿が見えます。
 お気の毒です。