>>255
St. Lydwineについてちょっと調べてみた
多発性硬化症だった可能性があるみたいね
こういった著しい人生の苦難を、贖罪として自らの身に引き受けることで
その苦難に信仰上の大いなる意義を見出した人生だったんだろうと思う

まったくもって真似のできるような水準じゃないが
信仰が現実の不条理を条理に変える力を持っていることを端的に示している例なんだろう

神ならぬ人間でありながら、こういった生き方ができるという証しとして
また同じような人生の苦難を引き受けなければならない人たちの希望として
カトリックの聖人という伝統は機能しているんだろうね

カトリックの聖人というのは、まさに我々と同じ人間であることにこそ意味があるんだろう