クリスチャンやってた時に辛かったのは、たとえどんなに仲良くなった友人がいても、ノンクリならば相手は天国に行けない(極端に言えば地獄に落ちるんだろうな)という後ろめたさ

じゃあ、伝道して救いに導けヨと言われそうだけど、相手には相手の家族がありその人生で幸福であるわけで

極論を言えば、
親しくなればなるほど、相手が地獄に落ちるのを、見殺しにする極悪人のように自分が思えて辛かったな

だから、私はノンクリの友達に心を開けなかった
いやクリスチャンの友達にも心は完全に開いてなかったけど、ノンクリよりは開いてたかな

私と私の家族はクリスチャンだから救われる、でも私が社会で出会う優しくて良い人達(日本人の99%)は救われない
嗚呼、不条理

原理的に聖書の字面を信じるクリスチャンほど、世と距離を置き、クリスチャン同士で群れになる
そこでは、ノンクリへの後ろめたさを感じる必要がないというのも一つの理由だろう