私の場合、改めて説明するまでもないけども、例え話を書くとするならば(思いついたので書きたくなったw)、

たとえば棒があるとして、
通行人にとっては何でもないただの道端の棒で、
その棒に価値を見出している人にとっては、肌身離さず持っていることで力を与えられると感じている棒で、
私にとっては、肌身離さず持っていた、かつ、叩かれて辛かった記憶が蘇る棒、という感じなのかな

苦い記憶があるのに棒を手放すと不吉なことが起きるのでは?と怖かった時期があり
手放してしばらくは遠ざけ、棒について一切考えなかった約6年間があり、その中で棒不在の自分だけの価値観を形成し、
今また改めて棒をつまんで色んな角度から眺めてる…って感じなのかなw

私の願う目的地は、棒がただの棒になることかな
棒に対するアレルギー反応がなくなること、その方がもっと生きやすくなるんじゃないかと思うから

遠ざけるというのも一つの選択だけど、あえて近づいて因果関係の仕組みを知る、というのも有りかな、と
そして時間が解決する部分も大きいんだろうね

長々書いたわりに、まあ皆さんが仰ってる感じですよw


>>338
リスク要因を、そもそも聖書の創造主に置くグノさんの意見もあったね
一応追加