urlが貼れないので「繁栄の神学(繁栄の福音)への警告」という記事から引用

繁栄の神学は富と健康の繁栄を強調するが
しかしキリストは物質の富の所有に関する警告を発する
(マタイ 6:24、19:24)


富などの現世利益は、あくまで信仰の結果として得られる可能性のある副次的なもの
それが信仰の目的となってはならない。富に信頼を置くのではなく、神に信頼をおくべきである、富を愛するのではなく、神を愛するべきである
(マタイ22章36-40)

今の世の中では、むしろ、良い人に悪いことが置きたり、悪い人が不自由無く暮らしている
イエスがルカ16章で教えた、金持ちとラザロの話しがわかりやすい例
この話の中で、不義の人である金持ちは現世では贅沢に暮らし、義人であるラザロは惨めな生活をしていた
祝福と裁きの原則は、現世では完全には作用しない
この原則が完全に作用するのは、霊の世界に入ってから


クリスチャンは、信仰を守ることによって、繁栄とは逆の状況、つまり仕事を失ったり、共同体から追い出されたり、迫害されたりすることもある
(ヤコブ1章2〜4節)

もしも私たちが、この世において完全に守られて、どんな試練にも遭わないような状況であれば、私たちの霊的成長は乏しいものになる
(ヘブライ5章8節)

神の祝福は、一人一人の必要に応じて、異なる形をとる
事業の利益が増えることもあれば、試練に耐える力が与えられる場合もある
したがって、献金や奉仕を忠実にしたからといって、それが必ず富の増加や地位の向上などの祝福に繋がると教えることは、誤りでバランスを欠いている

富の増加が、サタンから来る場合さえある
信仰者は常に、身の回りに起きる様々なことが、霊的に良い意味を持っているかどうかを吟味する必要がある

バプテストのヨハネは、下着を二枚持つ者は持っていない者と分け合うように、と警告した
(ルカ2章11節)
神が、富の祝福を受けた人に対して、その富を必要としている人々に分け与えることを望んでいるのは当然のこと

私たちは、何であれば自分が持っているものを、神の栄光のため、神の目的のために用いる必要がある