決断の主体である自分は自我そのものではないそれを眺めて選んでる存在

自我に気づくものは自我ではないという非二元の教師たちと同じことをコースも伝えている

最初はただひたすらエゴに気づくだけだったが最近はこの自分が主体であることに主点を置けるようになった
エゴと距離を置けてきているのかもしれない

それにしても思うのは主体である自分は何故エゴを選んでしまうんだろう? こんなものを見たいと思ってしまうんだろう?
この世界は苦しくて最悪だと思ってるのはエゴ、言ってるのはエゴ。
何故私はいつも聖霊を選べないのだろうか?