世界ってのは「自分が認識する」世界なことをしばしば人は忘れる

客観的事実を基にした批判は客観的な認識であり、客観的に世界像である

全を認識できない人類は認識できる範囲が限られるとはいえ、客観的な認識は事実の一側面を切り取る

一方で人には心があり、目を瞑ると世界を如何様にでも変えられる

例えば、私はキリストであるとか、天才であるとか、まったく現実とは真逆のことでも妄想の中では思い込める

同様に、まったくの妄想の中で人格の洗礼された素晴らしい人物を穢すことも自由だ

そして、「この妄想の世界」は「その妄想を妄想する妄人の世界そのもの」でしかない

この狂人が殆どの他人はキチガイだ、と妄想するとする
それはその人物の世界を基地外で塗りつぶすことに他ならない

もちろん客観的な事実は違う
この狂人の中の世界の中だけの話で、狂人はそのように生き続けてきたからこそ、狂人になってしまったのだろうと思われる

つける薬はないし、自爆する運命が運命づけられている
だから仕方がない話だ