>>540
御心なら叶えられる、ということは、叶えられないなら御心ではなかったことになるので
例えばコロナの流行も祈りが弱かったことが原因ではなく
御心ではなかったことが原因だとも考えられませんか?

世界には多くの悲惨があります
そしておそらくその数多の悲惨に対しては数多の真摯な祈りがあったと思います
それでもそれが叶わないのは、御心ではないからだとは考えられませんか?

仮に数多の悲惨を神自身が消し去ることが御心ではないとしたら
神はその悲惨に対して単なる祈りではなく
人間自身が責任持って解決することを望まれているとは考えられませんか?

例えばローマ教皇がことあるごとに世界の諸問題に対して発言しているのは
ただ祈れということではなく、ひとりひとりの行動を促しているように見受けられます
(念のために付言すると、祈りが無駄だということではまったくありません)

クリスチャンは伝統的に様々な奉仕活動に勤しんできました
身命を投げ売って貧困や飢餓、病に立ち向かったクリスチャンも大勢います
信仰のことばによって神に願いを叶えてもらうのではなく
信仰を行動に移して世の悲惨に立ち向かったクリスチャンも大勢います

こういった点に関してはどのようにお考えになりますか?