意識を意識する云々は無限に重ねられていく鎖ではなく、同じ乾板に同じ風景を何度も写すようなもので、何も付け加えるものではない。
先刻ある音知覚があったというだけのことで知覚「作用」があるということを何等意味しない。
現在の意識内容はわざわざ二重に意識されるまでもなく、今ここに余すことなく与えられているのである。

大森は図によって自身の無主体論を表している。
ここでは大森の図の概念を記号化して表してみる。

[私が] → [見る] → [A] の形でなく、
{ 私が ( 見る [A] ) } の形なのである。


引用元

https://w.atwiki.jp/p_mind/pages/106.amp#id_b02fae0d