>>43
その堀日亨が次のように書き残している。

「釈迦仏の又蓮祖大聖人の全てを此中(六巻抄)に納めたりとの会心の御作」(富要3−2〜2)

つまり、六巻抄によって大石寺の法門は全て明かされているということだ。
それでも「唯授一人血脈相承の法門」なる法主のみが知り得る法門があるとすれば、それは「釈迦仏の又蓮祖大聖人の全て」以外の何か、ということになるではないか。
そういうものであるなら、法主から法主への秘伝だろうと何だろうと関係ないし、知る意味もない。