ナチ収容所システムのなかのアウシュヴィッツ

1940年初頭、ハインリヒ・ヒムラーはアウシュヴィッツに関心を示しはじめる。この親衛隊全国指導者は、境界地帯全域で政治的敵対者のための収容所(集中収容所)を設置するのに適した場所を探していた。

アウシュヴィッツにあった、かつての季節労働者の宿泊施設は、親衛隊上級地区「南東方面地区」のエーリヒ・フォン・デム・バッハ゠ツェレフスキがベルリンに報告した3つの候補地のうちの1つだった。そして、ほかの親衛隊幹部や警察幹部からも同様の提案が出された。