>>393
7.一番気になるのは「反証」の質です

この記事を論理構造だけにすると、こうなっています。

峯野氏
「20年間観察してきたが異端的言動はなかった」

  ↓

根田氏側
「30年間正体を隠した統一協会員もいた」

  ↓

記事の含意
「だから峯野氏も騙されている可能性がある」

ここまでは反論として成立します。

しかし、これによって証明できるのは、

「長期間見ていたというだけで、絶対に騙されていないとは保証できない」

という一般論だけです。

「矢田氏・高柳氏が実際に異端信仰を隠して峯野氏を騙している」ことの証明にはなりません。

そして、後の高裁判決が実際にそこを区別し、「疑惑の域を出ない」と判断したことは、この論理上の弱点を非常によく示しています。

総合評価

私はこの記事を、「裁判報道として完全に誤っている」とは評価しません。 裁判期日、一審判決、CT側の陳述書、根田氏側が提出した反論資料など、重要な情報は掲載されています。

しかし、中立的な裁判報道としてはかなり問題があります。

特に問題なのは、峯野氏の20年間の直接的観察に対して、別人・別団体である旧統一協会の事例を持ち出し、「牧師も騙される」という一般的可能性を示すことで、あたかも峯野氏も実際に騙されていることへの反証になったようなタイトルを付けていることです。

しかも後の高裁は、まさにその根田氏側の主張を検討したうえで、**峯野氏の認識に不合理な点は認められず、CT役員が異端信仰を隠して騙しているという主張は「疑惑の域を出るものではない」**と判断しました。

したがって、現在の時点からこの記事を評価するなら、私は**「事実関係を含む訴訟報告として資料価値はある。しかし、見出しと記事構成は被告・根田氏側の立場に明確に寄っており、『ニュース』として第三者的・中立的な裁判報道とは言いにくい」**と評価します。

そして、人権という観点からこの一連の記事を検討するのであれば、この後に高裁が示した**「本人が否定している内心の信仰を、外部者が『実は隠している』と認定することには、信仰・宗教の自由の観点から慎重でなければならない」**という考え方は、かなり重要な転換点だと思います。