「・・・神の摂理の御計画において、神は、世界を懲罰しようとなさる前に、常に他のすべての救済策を使い尽くされるからです。ところで、神が世界は何であれいかなる注意も払わないということを御覧になるとき、そのとき、私たちが不完全な話し方で言うように、神は『ある恐れ』と共に私たちに救いの最後の手段、すなわち、御自分のいとも聖なる御母、を提供なさいます。それは『ある恐れ』と共にです。なぜなら、もしあなたがこの最後の手段を軽蔑し退けるならば、私たちはもはや天から許しを得ることはないでしょうから。なぜなら、私たちは福音書が聖霊に反する罪と呼ぶ一つの罪を犯したことになるでしょうから。この罪は完全な知識と同意をもって、神が提供なさる救いを公然と拒絶することに存します。イエズス・キリストが非常に善なる御子であり、私たちがイエズスのいとも聖なる御母に背き御母を軽蔑することをお許しにならないということを思い起こしましょう。私たちは教会史の多くの世紀を通じて、われらの主イエズス・キリストが御自分の御母の栄誉をどのように常に守られたかを、御母の栄誉を攻撃した人々に下されてきた恐るべき懲罰によって証明された明白な証言を記録してきました。」

ルシア・ドス・サントス