無関心でないように居ることは、同時に無力に苛まれる事でもありましょうね。
遠藤周作さんの


だが我々は知っている。
このイエスの何もできないこと、無能力であるという点に本当のキリスト教の秘儀が匿されていることを。
そしてやがて触れねばならぬ「復活」の意味もこの「何もできぬこと」「無力であること」をぬきにしては考えられぬことを。
そしてキリスト者になるということはこの地上で「無力であること」に自分を賭けることから始まるのであるということを。
(『イエスの生涯』より)


というのは宗教の本質をついていると思います。