凡情に落ちるとは、物に落ちることである。
「全て道である」すなわち煩悩即菩提というのは、至り得た後の話である。
それをごっちゃにしてはいけない。
そうしないと釈尊の六年間が無意味になる。
努力せずして道が成就するはずが無いでは無いか。