物の無い「今」が禅である。
これを「只管」という。
本当に単調に「今」行じていくには、自己を忘じた力がないとできない。
考えたのでは意識や感情が入っていて、不純物だらけで腐るから駄目である。
本当に自己が無ければそうでしょうが。
自己のないことが禅である。
生とか死は観念であり言葉である。
思いにとらわれると思えば良い。