自分がその中に、何かが出た時は自我が立っている証拠である。
一度は、迷いと迷えない「単」とのはっきりした違いに気づかねば、我見が入ったか入らんかの区別がつかない。
この正法の線をはっきりさせるためには、「今」を離してはならない。