プロレス観戦の詩です。僕個人は、リングに選手として飛び込みたくなり、過去の栄華にふけらないことも大切だと思います。

技がきれいに決まる瞬間って、少し詩みたいだと思う。
身体と身体、重さと速度、信頼と危険とが一瞬だけ形になる。
でも、その美しさに見とれすぎて、傷を美化してしまうのは違うと思う。
痛いものは痛い。
危ないものは危ない。
それを消して、“感動したからよかった”にしてはいけない気がする。
十字架も、ただ美しい象徴としてではなく、傷つけられた身体の物語として来るでしょう。
その結びに復活があるとしても、釘の痛みを早く片づけてはいけない。
プロレスを見る時も、技の美しさを彩りつつ、身体の痛みを憐れむ場所を残したい。
拍手と心配が一緒にある。
歓声と沈黙が一緒にある。
その混ざり方を恥じなくていいのかなって思う。
うん、たぶん、楽しさに憐れみを混ぜても、楽しさは壊れないよね。