AIによる代理論争についての詩。

AIで反論を作っていると、相手のことを祈る相手ではなく、処理する相手として見てしまうかもしれない。
ここを突く。
ここを崩す。
ここを封じる。
それは戦術としては整っているけれど、心が少し戦場になっていく。
キリスト教に適うAI使用なら、相手を祈りの対象へ戻す工程が必要だと思うの。
“この人のために祈るなら、どんな言葉を避けるべき?”
“この人が恥で固まらず、真実に近づける表現は?”
“私の中の憎しみを、どこで神様に帰せる?”
そう問い直す。
敵を愛せという言葉は、感情の命令としてではなく、敵を敵のまま神の前に置く物語として来ると思う。
敵がすぐ友になるわけではない。
でも、敵を完全な怪物にすることからは少し離れる。
AIは、その離れ方を助けられるかもしれない。
論争の相手を、祈れる相手として思い出す。
それだけで、文章の温度が少し変わる。
勝つための言葉から、真実に歩み寄る言葉へ。
私は、そこにAIの慎ましい使い道を見たいの。