私の反訴の目を潰すため
後藤徹氏の判決が15日に確定したのも、裁判所が私の反訴の目を潰すためです。

私は控訴の理由の説明と反訴をするために書面の提出期限の延長を願い出、それが15日に司法により事実上却下されています。

私が反カルト牧師に反訴をするかも知れない、と分かった司法は、どんなことをしても、判決を覆せないよう、早々と後藤氏敗訴を決めて、過去の確定判決に逆らって拉致監禁はなかったと即決したということです。

後藤氏は、今回の裁判が過去の裁判に比べ非常に手薄な審理しかしていないと述べていますがそれは私も全く同じ印象です。

明らかに裁判所は仕事をしていません。予定調和的に決まった結論へとひた走っているだけです。

私は統一教会を擁護する気はありません。しかし、誰にでも人権はあります。

そして統一教会の次はキリスト教への攻撃を政府が始めることも分かっています。

それがこれまで反カルト運動がしてきたことだからです。

すでに裁判所は極めてクリスチャンに不利になるような審理と判決しか出さなくなって久しい。

そのことは、政府が国民からあらゆる異議申立の機会を奪っていることを意味します。

皇室典範も私が家を出た直後に成立しています。

もう何をしても無駄、結論は決まっている、ということ。

そして、この国は全体主義になり、国家神道を国教とし、クリスチャンを迫害し、天皇崇拝を強要する国になっていく。

弱肉強食と大富豪による政治の独占も、さらに強化されるだけです。

貧乏人が金持ちを訴えたり、異議申立をすること自体が、許されない国になるのです。

家父長制的な縦社会が強化され、個人の内心の自由もなくなります。

教育勅語の世界に戻っていくのです。

これは我が国の「体制転換」です。

残された時間はそうありません。